神奈川県南部にある海沿いの街・茅ヶ崎。ここでは「幸福な死」の代名詞、老衰で息を引き取る人が多い。どうすれば、そんな穏やかな最期を迎えられるのか。街の風土、制度、文化に、ヒントを探る。
冬にしては暖かい日差しの中、茅ケ崎駅の南口を出ると、目の前に広々としたバスロータリーがある。都心に比べて空が広い。脇には書店や歯科医院が並び、バスの停留所では3人の高齢女性が会話を楽しんでいた。
駅から南へ向かう通りを歩く。道沿いには飲食店などが並ぶが、心なしか個人経営の店が多い。
15分ほど歩き、立派な一戸建てが並ぶエリアを抜けると、防砂林の向こう側には海が広がる。真冬にもかかわらず、陽光の中、海岸での散歩を楽しんでいる人たちがいた。その一人の男性が言う。
「今年で75歳になりますが、よほど天気が悪くなければ散歩をします。潮風を浴びながら歩くのは気分爽快。この街は気候がよく、魚や地野菜をはじめ食べ物もおいしい。
私は九州出身ですが、ここに住んで50年になります。一度暮らすとずっと住み続けたくなる不思議な魅力があるんです」
東京から電車でおよそ1時間。神奈川県南部にある茅ヶ崎市の風景だ。
茅ヶ崎と言えば、温暖な気候、青い海と白い砂浜をイメージする人が多いだろう。加山雄三やサザンオールスターズのメンバー縁の地、映画監督の小津安二郎や作家の開高健が愛した街でもある。
夏はサーファーで賑わう観光地であるとともに、東京や横浜への通勤圏の住宅街。前方には海、背後には小高い里山を抱えた豊かな地域だ。
その茅ヶ崎市がいま、あることをきっかけに注目を集めている。この街は、「病気ではなく、老衰で亡くなる人の割合」が日本一高いのである。
その事実は、厚生労働省の「人口動態保健所・市区町村別統計」('08~'12年)に示されている。年齢構成の違いを調整したうえで、老衰死亡率の全国平均を100とすると、茅ヶ崎市の数字は、男性が210.2、女性が172.1となる。
男性では、実に全国平均の2倍以上も老衰で亡くなりやすいということ。この数字は、人口20万人超の市区の中で最も高い。
なぜ茅ヶ崎では老衰で亡くなる人が多いのか。本誌は現地に向かった。
最初に訪れたのは、駅前の古い喫茶店。友人と談笑する72歳の元地銀勤務の男性に話を聞いた。
「茅ヶ崎の人たちは、みんな大きな病院に行きたがらないね。というか、そもそも茅ヶ崎には大きな病院が少ない。それで、よく小さなクリニックを利用するんです。
それは死ぬ時も同じ。私の知り合いも、亡くなる時にはかかりつけ医に自宅に来てもらったり、ギリギリまで家で過ごして最後だけ近くの小さな病院で看取ってもらう人が多い」
茅ヶ崎には大病院が少ない――この男性だけではなく、取材をする中で多くの市民が口を揃えそう話した。本当なのか。
たしかに数字がそれを裏づけている。日本医師会が行った調査によれば、人口10万人あたりの病院(入院用のベッドが20床以上ある施設)の数は2.92で、全国平均の6.58と比べるとはるかに少ない。
逆に、茅ヶ崎では「自宅で死ぬ」ための制度が整っている。在宅医療のための機能を備えた「在宅療養支援診療所」の数が多いのだ。
在宅療養支援診療所とは、医師や看護師が担当する患者やその家族と24時間連絡を取れることなど、様々な条件を満たした診療所のこと。茅ヶ崎市にはこうした診療所が10万人あたりに17.13もあり、全国平均の11.43に比べてはるかに多い。