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性犯罪者数百人と面会して見えた「性暴力問題の本質」

良い人が突然変貌するのはなぜ?
ハリウッドからはじまり日本でも性暴力反対のムーブメント「#MeToo」が広がっている。そもそも性暴力とは何か? 実際には性の問題ではない? 『性暴力の理解と治療教育』の著者で大阪大学大学院教授・藤岡淳子氏に寄稿いただいた。

極めて暴力的な、卑劣な犯罪

「#MeToo」の動きに対して「男性にも口説く権利はある」という批判が出たようだが、「口説く」のと「性暴力」は全く別なのになあという違和感がある。

「口説き、口説かれる」のは、互いのやり取りで、二人ともが楽しみながら何らかの合意に達するのであれば、全く問題にならない。むしろそれを楽しめるのは素晴らしいことだ。

ところが、口説かれる方が口説かれたくないと思っているのに、「いいじゃないか」と続けると性暴力に限りなく近づいてくる。いわゆる「ナンパ崩れ」と呼ばれる性犯罪が生じるのはそういう場合であろう。

相手の感情や意向を無視して、ごり押しするのは、全く粋じゃない。

性暴力被害は、被害を受ける側は無力な状態、選択の余地や自由が利かない状態に置かれる。

「口説く」のは自由であるが、「口説かれる」方が自身の性行動に関する自由意思を実現できなくなれば、それは暴力となる。

「今、この水を飲みたくない」と断っているにも関わらず、「嫌々、この水はとても美味しくて、健康にもいいから飲みなさい」と、口をこじ開けさせて水を注ぎこめば、それは、暴力である。

そして現実に起きている性暴力(犯罪)は、こうした「口説く―口説かれる」といった話ではまったくない。

 

例えば、眠剤等を飲み物に入れて自由な判断決定をできない状態にさせてセックスに及ぶとか、小さな子供に一方的に行うとか、NOと言えない圧倒的パワーを乱用するとか、相手の抵抗を抑えるために緻密に計算された、極めて暴力的な、卑劣な犯罪である。

とても単純なことなのに、なぜ加害側の「言い訳」が未だにかなり通用するのかが、よく分からない。

「性にまつわる思考」への違和感

刑務所内の性犯罪受刑者の矯正教育では、性犯罪につながりやすい、こうした「言い訳(思考の誤り)」を扱うが、「挑発的な服装をしている女性は、セックスをしたがっているからセックスしても強姦にはならない」といった例題がある。

これについて正しいか、誤りか議論するわけである。

8人くらいのグループで話し合っている彼らは、思考の誤りを「学習中」であるので、「正しい答え」を探して、「強姦になることもある」、とか「どんな服を着るかは女性の自由でセックスをしたいというわけではない」といった意見を述べる。

一方で、「でも、ナンパするときは派手な服を着ているオンナに声をかけるよね」、「誘いたいからそういう服着てるんでしょ、と思う」との「本音」も出る。ちなみに「オンナ」と言うと、「女性」と「指導」が入る。

「男性はいつでもセックスできなければならない」という考えも例示されている。彼らの中から、思わずといった様子で「そんなマシンみたいな……」という声も出るが、「目の前に裸の女がいたら、しなければ、でしょう。据え膳食わぬは男の恥」、という人もいる。