ヒンナヒンナ…「東京に住むアイヌ」の喜びと悲しみを知っていますか

私たちは「日本の先住民族」なのです
崎山 敏也 プロフィール

東京五輪に対する「ある懸念」

こうして、アイヌ文化を伝える活動がある一方で、首都圏を含む道外と道内には、政策的な不平等があります。

北海道では1972年から「北海道ウタリ福祉対策」が定められ、アイヌが集まって活動する場「生活館」の整備、相談員の配置、住宅資金の貸付、進学資金の補助などの政策がとられるようになりましたが、こうした施策は道外にはありません。

政府の「アイヌ政策推進会議」でも議題には挙がっており、首都圏のアイヌの委員が道内との格差解消を訴えていますが、まだ目に見える形ではその成果は現れていません。

これまで見てきたように、首都圏のアイヌの中には、自分たちの力でアイヌの集まる居場所、文化を伝える場所を作ろうと活動している個人・団体もいます。彼らがいま気になっているのは、2020年の東京オリンピックです。そこでアイヌはどうとりあげられるのかーー。

アイヌ政策推進会議の座長を務める菅義偉官房長官は「2020年の東京オリンピック開会式や関連イベントに、アイヌが参加することは重要な課題の一つだ」と述べています。

ただ、それだけでなく、「北海道在住か否かを問わず、また五輪の時だけの一過性のものでなく、アイヌが『日本の先住民族』としての地位を確立する」契機になってほしいものです。

宇佐さんも、授業で北海道内外の格差について話しました。

「『本当にアイヌなのか?』と言われることもあるんです。きょうのような講演でも、『新宿に住んでいます』というと、相手がガクっとなるのが伝わる。その気持ちもわからなくはありません。でも、私は『日本の先住民族』アイヌなんです」

2017年9月、宇佐さんは首都圏のアイヌの女性たちと一緒に、台湾で行なわれた先住民族のイベントに出演しました。その時も、「日本から来た先住民族のアイヌです、で通じました」。かえって日本国内のほうが「アイヌは北海道だけに暮らしている」という先入観がまだ残っているようです。

 

知られざる「同化教育」の名残り

最後に、着ている着物について質問された宇佐さんは、こう語りました。

「これは釧路あたり、道東のほうの縫い方。地方によって縫い方や模様が違うんです。でも、私はいろんなところの良さを味わいたいので、色々な地方のものを着ます。

関東に暮らすアイヌは、歌も踊りも着物も色んなところのものを知ることができるし、北海道の色々な地方の出身のアイヌが一緒に活動できるので、楽しいですね」

後日、宇佐さんの話を聞いたある学生のリアクションペーパーに、「北海道でアイヌ差別が根強いということに驚いた。東京で暮らせてよかったですね」と書かれていました。

しかし、岡田講師は「アイヌが東京で暮らすことは、必ずしも『いいこと』なんでしょうか。道外に移住せざるをえなかった背景を考えると、そうとも言い切れませんよね」と補足しました。

確かにアイヌの道外移住は、新しいアイヌの文化の流れを生み出していますが、同時に明治以来のアイヌへの偏見、差別の歴史を表すものでもあるのです。

その歴史を物語る場所が、今も東京には残されています。東京・港区の芝公園。その一角に「開拓使仮学校跡」と書かれた小さな石碑があります。

石碑には「1872年、北海道開拓の人材を養成するための学校がここに建てられた」とは書いてありますが、同じ場所に付属施設「北海道土人教育所」もあったことはわかりません。

明治政府はアイヌの男女38人を強制的にこの「教育所」へ連れてきて、日本語や和食、洋装の強制――つまり「同化教育」を行なったうえで、農業技術などを教えようとしたのです。

しかし、慣れない生活への拒否反応から、衰弱死や脱走が相次ぎ、2年で廃止されました。

2003年以降、毎年8月に、首都圏のアイヌがこの場所に集まり「イチャルパ」(先祖供養)を行なっています。東京に連れてこられて亡くなったり、北海道を離れて関東に移り住まざるを得なかったアイヌの同胞たちを追悼しているのです。

現在、首都圏には個人の活動のほか、「ペウレ・ウタリの会」「関東ウタリ会」「レラの会」「東京アイヌ協会」「チャシ アン カラの会」など複数のアイヌ団体があります。

また、東京駅八重洲口近くには「アイヌ文化交流センター」(アイヌ文化振興・研究推進機構)があり、様々なセミナーが開かれているほか、上記の団体によるイベントの情報なども手に入ります。利用は無料ですので、もし時間があれば、訪れてみてはいかがでしょうか。

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