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柳美里はなぜ「普通の人の普通の生活」をリアルに書こうと思ったのか

生き物を飼いながら生きる人間たち

ウーパールーパーに「アポロ」という名前をつけたコンビニの青年の話や、シングルマザーの母親との軋轢にもめげずに、健気に生きて行こうとする少年の話など、柳美里さんの新作『飼う人』では一風変わった生き物を飼う「普通の人」たちの日常の心模様がリアルに描かれている4編から成る小説だ。この連作を書くきっかけや、作品に込めた思いなどを聞いた。

まるで映像を見ているよう

―小さな生き物を飼う人たちの日常を描いた4編からなる連作短編集。出てくるのは、イボタガやウーパールーパーなど、ペットとしては一風変わった生き物ばかりです。

彼らは、どれも私自身が飼ったことのある動物たちです。私は小さな頃から虫が好きで、学校帰りに虫を見つけると腕にくっつけて帰る、そんな子供でした。今も、虫たちが食草を食む微かな音に包まれて仕事をするのが好きで、家の壁には蝶のツマグロヒョウモンの蛹が張りついています。

彼らは、犬や猫のように、撫でたり見つめ合ったりというコミュニケーションは成立せず、飼っている人間が一方的にじっと観察することになります。だからこそ、動物の様子を描くことを通じて、「飼う人」たちの心模様がにじみ出てくるのではないかと考えました。

―夫婦、青年、少年と主人公はさまざまですが、誰もが平穏な暮らしのなかにほの暗い何かを感じている。そんな様子が、つぶさに描かれます。

そもそも、「イボタガを飼うとしたら、それはどんな人だろう」と考え始めたのがこの連作の始まりでした。まず、イボタガを世話している人の「手」を想像してみました。女性の手でした。そこからツーッと視線を上げると、疲れた主婦の顔が浮かび上がってきた。「あ、この人だ」と思い、筆をとりました。全編こんな感じで、各章の登場人物にはっきりとした「顔」があるのです。

―その最初の一編「イボタガ」の主人公は40代の専業主婦。夫は市役所職員で、子供を切望しているもののまだ叶わず。物語は、夫婦二人の朝の風景から始まりますが、ひとつひとつの描写が真に迫っていて、まるで映像を観ているようです。

起きて、朝食とお弁当を作って、夫はテレビを見ながらそれを食べて出勤。あとは洗濯をしたりアイロンをかけたり、買い物に出かけたり……。ごくごく普通の朝のひととき、妻がベランダのオリーブの枝に毛虫を発見して、飼い始めます。特別なことは何もありません。この作品では、あえて意識的に、「普通の人」の普通の生活をリアルに書こうと試みました。

―噛み合っているようで、実は噛み合っていない夫婦の空虚な会話の描写ひとつをとってみても、誰もが「こういう話をしたことがある!」と納得できる生々しさが息づいています。どこからインスピレーションを得ているのでしょう。

私が、「普通の日常」を描くことに目を向け始めたのは、2012年から福島県の臨時災害放送局「南相馬ひばりFM」で『柳美里のふたりとひとり』という番組のパーソナリティを務めるようになってからです。

16歳で演劇界に飛び込み、18歳で書くことを仕事にした私は、一般的な職業に就いたことはもちろん、アルバイトをした経験すらなかった。周りにいる友人もマスコミや芸能の人ばかりでした。

 

それが、FMの番組に出るようになって初めて、普通の日常を生きる人々の話をじっくりと聴く経験に恵まれたのです。これまで、延べ560人の方の話を聞いていますが、ひとりひとりにそれぞれの世界があって、生活の話も、仕事の話もとても興味深い。

自分を取り巻く狭い世界を飛び出し、世の中の職業や、人の考えかたの多様さに触れて得た刺激を作品にしたくて書いたのが、この連作なのです。