ワイドショーはいつから力の弱いタレントばかり叩くようになったのか

芸能プロとテレビ局「愛憎の50年史」
田崎 健太 プロフィール

ロス疑惑、そしてオウム事件

80年代はニュース番組とワイドショーの境目が曖昧になった時代でもあった。

85年に放送が始まった『ニュースステーション』は、従来のニュース番組とは違い、フリップや図などを多用し、視聴者に分かりやすくニュースを解説した。これはワイドショーで培った“見せ方”である。

 

ワイドショーの側も、芸能ニュースだけではなく、様々な事件を取り上げるようになる。84年、週刊文春が口火を切った「ロス疑惑」では、三浦和義がテレビカメラに日々の私生活を追い回されることになった。

ワイドショーの制作も手掛けていた、在京キー局プロデューサーはこう証言する。

「ワイドショーというのは、テレビ局の中で“鬼っ子”的存在だったんです。

テレビ局は広告収入で食べているわけです。もっともスポンサー収入が得られるのがゴールデンタイム。それから“プライム”“A帯”“B帯”“C帯”“深夜帯”って落ちていく。

ワイドショーの時間というのは元々C帯、いわゆる捨て枠だった。その捨て枠のはずのワイドショーが、ロス疑惑の頃からすごく力を持ち始めた。そして、ワイドショーと報道の垣根がなくなっていったんです」

85年には金の先物取引を悪用した豊田商事の会長、永野一男が潜伏先に詰めかけた報道陣の前で刺殺される事件も起こった。この年8月の日本航空墜落事故もワイドショーは大きく取り上げている。

翌86年には、芸能レポーターを主人公に据えた内田裕也主演の映画『コミック雑誌なんかいらない!』が製作されている。ワイドショーとテレビレポーターは社会現象となっていたのだ。

ワイドショーと報道の垣根は、オウム真理教が力を伸ばすことでさらに希薄になった。オウム真理教を扱うと視聴率が上がるということで、各局のワイドショーは雪崩を打ってこの新興宗教を取り上げた。

ただし、ワイドショーのスタッフには、そもそも「ジャーナリズムをやっている」という意識は薄かった。よく言えば「新しくて自由」、悪く言えば「無法地帯」のワイドショーが報道の世界に張りだしてきたことで、問題も生じた。

89年10月、TBSのワイドショー『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤のインタビュー映像を、放送前にオウム真理教幹部に見せたのだ。

坂本堤弁護士(右)とその家族(講談社写真資料センター)

当時、坂本はオウム真理教被害者の会を組織しており、教団にとって目障りな存在だった。オウム真理教は坂本のインタビュー放送を中止させた。これが同年11月に発生した坂本堤弁護士一家殺害事件の発端になったとされている。