ワイドショーはいつから力の弱いタレントばかり叩くようになったのか

芸能プロとテレビ局「愛憎の50年史」
田崎 健太 プロフィール

ライバル・梨元勝

このとき、すでにテレビには前田の同業者が“転職”していた。

梨元勝である。

 

「講談社の『ヤングレディ』に梨元っていう、喋りが面白くて取材をねちっこくやる記者がいるというのは早くから聞いていたの。ただ原稿を書かせると字は間違っているし、滅茶苦茶だった。

その梨元が、テレビ朝日の『アフタヌーンショー』で水を得た魚のように毎日走り回って、すごい映像をバンバン出していた。

それで、フジテレビもぼくに破格の待遇をするから来てくれというんだ」

梨元勝(講談社写真資料センター)

機転が利き、物怖じしない梨元はワイドショーに向いていた。そして前田も梨元に続くことになった。

「あちこちカメラを振り回して、芸能人を追いかけた。逃げる姿も撮ってね。それまでテレビで芸能人のスキャンダルを暴いていくことなんてなかったでしょ。

スポーツ紙や週刊誌は読み物だけど、ワイドショーは芸能人がキャーとかワーとか言いながら走って逃げる。その顔、表情をそのまま見ることが出来る。要は覗き見だね。

各局、朝と午後、芸能ニュースをやるようになった。やればやるだけ数字が取れた」

前田がリポーターとなった1980年代の中心は松田聖子だった。

80年4月「裸足の季節」でデビューした彼女は、次々とヒット曲を出した。そして、彼女には話題が尽きなかった。郷ひろみとの交際、破局。神田正輝との結婚、長女の出産――。

松田聖子(講談社写真資料センター)

「聖子と(中森)明菜の時代。歌謡界が輝いていて、紅白歌合戦の他、レコード大賞などの賞レースも盛んだった。

当時は好き放題、やり放題。(他局のレポーターと)タレントを両側から追いかけて行って、タレントとオデコをごつんとぶつけて、“ごめんね”なんて感じだったよ。事務所から見れば、大切なタレントに傷を付けやがってっていう話だったでしょうね」

当然、プロダクションから抗議を受けることもあった。

「“ナシつけ”っていうんですよ。プロダクションと話をつける。謝りに行く。あるいは証拠を突きつける」

ある有力プロダクションの社長から呼びつけられたこともあったという。

「“お前、この野郎、ちょっと来い”ってね。行ったら灰皿ぶつけられた。なんで怒られたのかは忘れちゃったけど。

でも、次に丸坊主にして行ったら、“おう”って、それで終わりだよ。そういう時代だった」