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いま親日国カンボジアの人々が中国に共感し、米国を嫌悪する理由

現地を歩き、中国の影響力を見聞きした
阿古 智子 プロフィール

72歳のこのおじいさんは、父方・母方の祖父が100年前に海南島・海口の文昌県からカンボジアにわたり、胡椒を栽培していたという。

フランス料理店のコックをしていたが、10年前に退職し、子どもたちは皆成長し、孫はアメリカや上海で働いている。

おじいさんは端華学校で9年間教育を受けているため、華語を流暢に話せる。奥さんは潮州出身で、家で話す言葉は95%が潮州語とクメール語だという。

おじいさんは、父が亡くなった「1978年12月26日」を明確に覚えていると何度も話した。

「ポル・ポトの時代、自分は30代初めだったが、父は葉っぱしか食べ物がなくなって、栄養失調でお腹が膨れて、餓死したんだ」

「自分は若い頃からコックをしていたが、財産を没収されて、1975年4月には農村に強制移住させられたよ」

「クメール・ルージュの後方部隊にも参加した。あの頃は、本当に食べるものがなかったんだ」

〔PHOTO〕gettyimages

仕事があれば国は乱れない

友人の運転する車に乗り、プノンペンの雑踏と渋滞から抜け、田園風景を見ながら2時間ほど走った。

道路沿いに建てられている政党の看板は、ほとんどがフン・セン率いる与党・人民党のものだ。

「野党の看板を入口に立てているような村は、冷や飯を食べさせられているみたいだよ。道を舗装してもらえないとかね」と友人が解説してくれた。

人民党の強硬な態度は、日々エスカレートしている。

昨年9月、最大野党のカンボジア救国党のケム・ソカ党首が「国家反逆罪」の容疑で捕まり、11月には、最高裁判所が同党の解散を命じる判決を言い渡した。

2018年に総選挙を控え、危機感を強める人民党は、昨年2月、「党の代表が有罪となった場合、その党は解党しなければならない」という条項を政党法に追加していた。