女装をした者も…特攻直前、笑顔で写真に写った航空隊員らの「運命」

終戦を迎えられたのはわずか3人だけ
神立 尚紀 プロフィール

海軍記念日に分隊対抗の演芸会を企画

角田和男さんによると、粟大尉は、初対面の挨拶で、自らに実戦経験のないことを率直に明かしたうえで、

「これからいくら急いでも、少しは訓練しなければ戦争になりません。この飛行隊はあなたに預けますから、あなたの思うように訓練して、あなたの思うように使ってください。私は名前だけの隊長でよろしいですから」

と、階級の垣根を越えて角田さんに懇請したという。

飛行時間で比較すると、角田少尉がすでに3000時間を超えていたのに対し、粟大尉は700時間、木村大尉、桝本大尉はそれぞれ350時間程度で、戦闘機乗りとしての経験、実力は比較にならない。空の戦いは階級ではないことを、粟大尉はきちんと自覚していたのだ。

昭和17(1942)年暮れ、ニューギニア東部のラエ基地にて。左端が角田さん。中国戦線での零戦初陣の頃から激戦をくぐりぬけてきたベテラン搭乗員だった

三沢基地の周辺は、春は霧が多く、5月になっても山の頂には雪が残る。ひとたび天候が急変すれば、濃霧は零戦の飛行速度以上の速さで広がり、容赦なく視界を遮って着陸を妨げる。悪天候が原因の殉職者もでた。そんな過酷な条件で、来たるべき出動に備え、二五二空の搭乗員たちは猛訓練を重ねた。それはまさに、当時の流行歌に歌われた「月月火水木金金」そのものだった。

 

5月27日の海軍記念日に、演芸会をやるという話が隊員たちに伝えられたのは、そんな訓練のさなかのことだった。航空隊で、祝日やなにかの記念日に演芸会を催すのはよくあることで、ほとんどの部隊には、一見、軍隊には縁のなさそうな、帳簿外の舞台道具や衣裳が揃っている。

たとえ道具が足りなくても、兵隊にはさまざまな前職の者がいるから、大道具、小道具、衣裳、たいていのものは自分たちで作ってしまう。

隊員たちは猛訓練の合間に、分隊対抗の演芸会の出し物を考えたり、練習をしたりしてその日がくるのを楽しみに待っていた。

ところが、準備万端ととのった当日の朝になって、二五二空の上部組織である第二十七航空戦隊の先任参謀が、

「この非常時に演芸会などもってのほかである」

と、予定のすべてを中止するよう命じてきたのである。すでに演芸用に衣装を着替え、顔に白粉を塗ってスタンバイしている者もいたほどのギリギリのタイミングだった。

事実、この頃には中部太平洋方面の風雲急を告げ、非常時であることには間違いない。

2月17日、聯合艦隊の一大拠点であったトラック基地が、敵機動部隊艦上機の奇襲で壊滅。トラックに代わる拠点となったパラオも、3月30日、31日と敵機動部隊艦上機による大空襲で大打撃を被っている。

階級や立場により、状況認識に差はあるものの、戦況が思わしくないこと、自分たちの出撃が近いことは隊員の誰もが理解している。

「戦争だ、仕方がない」

と、みんな、楽しみを潰されてぶつぶつ言いながらも、通常の日課に戻ろうとしていた。

演芸会中止命令に不満の隊員たちが開いた大宴会

……すると、宿舎の入り口近くで、

「おーい、汁粉はどこだぁ?」

というのんびりした声が聞こえる。角田少尉が宿舎の窓から顔を出して見ると、それは二十七航戦司令官・松永貞市中将だった。

松永中将は、「しるこ券」と書かれた券を手にもってひらひらさせながら、汁粉の屋台を探していたのだ。つまり司令官は、基地祭が中止になったということを知らずにいた。中止させたのは、先任参謀の独断だったのである。これは、幕僚としての越権行為である。

このことが、隊員たちの不満に火をつけた。

「こんちくしょう、中止は参謀が勝手に決めたのか。馬鹿馬鹿しい、みんな、飲もうぜ」

角田さんが声をかけると、搭乗員宿舎に、この日のために用意していた酒や食料がまたたく間に集められた。そして、演芸の衣装もそのままに、昼間から宴会がはじまったのだ。

松永中将は、開戦早々、世界戦史上はじめて、航行中の戦艦を飛行機の攻撃だけで撃沈した「マレー沖海戦」でイギリス東洋艦隊を壊滅させた航空戦隊司令官として名高いが、なにごとにも口やかましく隊員たちから煙たがられている。司令部への、言葉に出せない鬱憤は、部隊の幹部のあいだにも溜まっている。

そのことを知っている角田さんは、

「搭乗員一同、愉快にやっております。ぜひ顔を出してください」

と、司令室や士官室にも若い搭乗員を使いに出した。ほどなく、司令・舟木中佐と飛行隊長・粟大尉、分隊長・木村大尉、桝本大尉らも、酒保(しゅほ・隊内の売店のようなもの)で自費で購入したビールケースを従兵にかつがせて加わった。

こうして、司令、隊長から下士官兵搭乗員までが一緒になっての宴会は、夜半過ぎまで続いた。歌う者、練習していた芝居を演じる者、わけのわからないことを言ってゲラゲラ笑う者、急に泣き出す者……搭乗員宿舎は軍隊らしからぬ笑いと歓声に包まれたという。写真は、そんなさなか、写真を趣味としていた西川作一二飛曹の手で撮られたものである。

やがて東の空がほんのりと白み始めた頃、酔いつぶれた舟木司令を戸板に乗せ、それを搭乗員たちがかついで司令室へと運び出したのをしおに、さしもの宴もお開きになった。

しかし、話はこれで終わらない。