# 中国 # 学校・教育 # カンボジア

世界で深まる「中国依存」親日国カンボジアでこんなことが起きている

華語学校・華人コミュニティで見た風景
阿古 智子 プロフィール

1995年に「日本・カンボジア友好橋」のすぐ隣に建造された「中国・カンボジア友好橋」も同様の事例である。

「日本・カンボジア友好橋」は、1966年に日本の援助で建設され、内戦中に爆破されたが、1994年に日本の無償資金協力で再び開通した。つまり、同じ形の橋が並行して二本走っている。

確かに、交通渋滞の緩和には役立っているのだが、橋のたもとには中国とカンボジアの記念碑が建設され、「日本・カンボジア友好橋」まで中国の援助で建設されたように見えてしまっている。

プノンペンの独立記念塔とフン・セン公園を望む場所には、シハモニ国王の肖像を掲げた巨大パネルが常設されている。

2016年10月13日、習近平国家主席がカンボジアを公式訪問した際には、それと全く同じ大きさと位置に、習近平国家主席の肖像が掲げられた。このパネルに、外国の政治指導者の肖像が掲げられることは滅多にないのだという。

カンボジア政府が、中国を特別な存在としてアピールしていることは明らかだ。

 

歴史に翻弄されてきたカンボジアの華人

プノンペン市内でも地方の農村でも、カンボジアの少なからぬ家の入口には、春聯(中国の旧正月に貼り出す縁起の良い対句)が貼ってある。

祖先を祀る真っ赤な中華風の祭壇が見える家もある。バイクに乗ってプノンペンの街を駆け抜けるのは、二人乗りならぬ、子どもを脇に抱えての三人乗り、四人乗りの人たち!大きな荷物を乗せたトラックや、荷台に人がしがみついている車も行き交う。

屋台で売っているのは、熱帯のフルーツやココナッツなどの入ったデザート、ローストした大きな塊肉を吊るしている店もある。海南省とか広西チワン族自治区とか、私がかつて訪れた中国南部の都市に似ているなあ、と懐かしい気持ちになった。

中国とカンボジアは地理的に近く、歴史的に交易が盛んで、国際政治の舞台においても密接なつながりを保ってきた。

中国にルーツを持つ華人はおおよそ100万人いると言われているが、彼らは激動の歴史に翻弄されてきた。ここで簡単に、歴史を振り返ってみよう。

カンボジアの華人は、アンコール朝の時代(9世紀初頭から15世紀半ば)から、交易を目的にカンボジアに移住していたと言われている。

フランス植民地時代には、5つの方言集団(潮州、広東、海南、客家、福建)の「帮」(同郷、同業、同族などの人々からなる相互扶助組織)への加入を義務づける、帮公所制度を採った。

当時の華人統治(徴税、出生・死亡・転出入の手続き、警察権等)はシェフ(chef)と呼ばれる人物に委ねられていたが、その強大な権力を抑制しようと、各帮は「会館」を組織し、墓地や寺院の管理、病院や学校の運営など、さまざまな社会事業を行った。