中国の「地方」で月1万円生活を送る70歳が見た、あの国の現実

北京には行ったことありませんが…
青山 潤三 プロフィール

「変革」はスラム街にも

「日進月歩」という言葉は、中国においてはレトリックではなく現実です。いや、「秒進分歩」と言うほうが実態を表しているかもしれません。数カ月も経てば、あらゆることが激変します。筆者がそれを痛感したのは、昨年の秋でした。

深圳での筆者の拠点は何度か変わっているのですが、2017年中は、ほぼ「スラム街」と言ってよさそうな下町の安ホテルを拠点にしていました。

住民は、どう見てもエリートや富裕層とは程遠い下層市民。ここに都合ひと月ほど滞在していたのですが、その間、自分が持っているものを除いて、現金を一度たりとも見かけませんでした。

スーパーやコンビニは無論、八百屋でも屋台のソバ屋でも、あらゆるところで、全ての人が、端末にスマホをかざして「ピッ」と精算しているではありませんか。ゴソゴソ現金を出しているのは、どうやら筆者だけのようでした。

日本でも、上海などの都市部でスマホによる電子決済が普及していることは報じられていますが、深圳のスラムですら、もはや現金は一切使われていないのです。

もちろん、現金が使えないわけではありません。しかし、おそらく新しい紙幣はすでに出回っていないのでしょう、どれも屑切れ同然にズタボロです。

一昨年に深圳を訪れたときには、こうではありませんでした。文字通り一瞬にして、そして完璧に変わってしまったのです。

 

嘲笑と畏怖の来るところ

日本であれば、まず限られた地域で実証実験を行うなどして試行錯誤を繰り返しつつ、暫時システムを移行していくのでしょう。しかし、中国は「実験即ち本番」。失敗しようが何だろうが、量と勢いで突っ走る。

実は筆者の専門分野である自然や生き物についても、昔からそうでした。野菜、果物、園芸植物、家畜、ペットなど、人間が利用するために改良した生物を「有用生物」と言いますが、日本には中国で作られた(あるいは中国を経てヨーロッパなどで作られた)「有用生物」が多く入ってきているのです。

「日本人は、0から1を生み出すことができない」「そのかわり、すでに形になっているものを発展・応用する力は天下一品」と、よく言われます。私見ですが、決して日本人に新しいものを生み出す能力がないわけではなく、日本という国の「環境」がそれを許さないのではないかと思います。

無から有を生み出すことは、大きなリスクを伴います。失敗すれば、全体の「和」、秩序を乱すことに繋がるでしょう。狭い島国では、それはときに致命的な結果をもたらすことがあります。

アメリカには、リスクをとることを「チャレンジ精神」として称賛する気質がありますが、中国の場合はそういう気概が原動力というわけでもなさそうです。ピカピカの巨大な新築物件が、建設しているそばから必要なくなり、そのまま廃墟になってしまう。それでも、誰一人として気にする様子もありません。

つまり、ひとたび「全体の変革と成功」をモノにできれば、細かい失敗はどうだっていい。改革の過程においては壮大なムダを出すが、最終的には、慎重に計画を練る「日本式」のやり方では絶対に不可能な、全く新しくて巨大な何かが出現するーー。

日本人が、いまの中国を「嘲笑」と「畏怖」のないまぜになった目で見つめる理由は、ここにあるような気がしています。

                              (この項つづく)