不肖・コミネが名門大学の講師になれた理由を教えましょう
タリスカー・ゴールデンアワー第10回(後編)提供:MHD
⇒前編【タリスカーを飲ませていただけるなら…】
(構成:島地勝彦、撮影:立木義浩)
シマジ: 大学のコミネは学生たちにとっては面白い先生だろうね。むかし深夜ラジオの「オールナイトニッポン」でDJもやっていたことがあったよな。
コミネ: はい。1985年から1年間、1987年からは2部で1年間。1部と2部でやったのは唯一おれだけです。当時200万人が聴いていましたから、いまだにファンがいろんなところにいるんですよ。

テレビの「11PM」にもレギュラーで出ていた時期がありました。そのころは視聴率10%取っていましたから1000万人でしょ。「オールナイトニッポン」が200万人で、シマジさんが編集長のころの「週刊プレイボーイ」が100万部でしたから、1週間で1300万人です。当時の日本の人口は1億3000万人でしたから、その約一割が、毎週おれのことをどこかでみていたということになります。
ヒノ: 1991年公開のジェームズ・キャメロン監督の『ターミネーター2』にも出ていましたよね。一瞬で殺されちゃう役でしたけど。
コミネ: そうです。おれはこうみえても国際俳優なんですよ。
シマジ: コミネはむかしからキャメロンと親しかったんだよね。それにしてもお前は凄いよな。2つの大学をまるめこんでちゃっかり講師になっているんだから。
コミネ: まるめこんでなんかいません。ちゃんと正門から入りました。
シマジ: じゃあ、どうして講師になれたんだ。正直に答えてくれないか。
立木: そのほうが楽になるぞ。コミネ、早く楽になっちゃえよ。

コミネ: あるときキャメロンに会ったら、「コミネ、今度は大学の研究者か教授の役で出してやる」と言われたので、役作りのために、どうしても大学で学生に教えたかったんですね。それで、簡単にいいますと、教授のなかに「オールナイトニッポン」のファンがいたんです。その教授が夢を叶えてくれたわけです。
シマジ: それでコミネは学生たちになにを教えているの。
立木: コミネ、正直に話せよ。
コミネ: 「異分野コミュニケーション」というやつです。ボブさんが卒業された後に出来た講座なんですが、全学部と大学院向けで、自分の専門分野を異なる分野の人間に説明するというプレゼンテーション手法を教えるんです。つまりプレゼンのスキルを向上させるための授業です。
過去3年2015年、16年、17年の学園祭で「プレゼンバトル」というのがありまして、そこでおれの教え子が3年連続優勝しました。それも筑波大学の学長と副学長がみている前でやるんですよ。ですからおれの授業は学長にも覚えめでたいんです。
ボブ: すごいですね。どういう授業の仕方をするんですか?
コミネ: シェークスピアを使います。
シマジ: シェークスピア!? お前がか!? 考えられないな。
立木: おれも考えられない。

コミネ: みなさん、ここは笑うところではないですよ。
立木: うん、わかる、わかる(笑)。
コミネ: 立木先生、笑いながら、わかる、わかるじゃなくて。どうしてシェークスピアなのかといいますと、『ジュリアス・シーザー』の第3幕でブルータスがシーザーをぶっ殺して、市民が集まってきた広場で「いま、わたしは殺してきた」というプレゼンをやるわけです。
【突然ボブがその場面の台詞を英語で語りだす】
コミネ: そうそう。それで今度はアントニーがまったくアウェイの状況でやるじゃないですか。
授業の前半は、たとえば学生の数が40人だとすると、20人のアントニーと20人のブルータスがいるっていう暑苦しい教室です。一幕をフルでやると、3時からはじめて、夜の10時までかかります。『ジュリアス・シーザー』は1対多数のプレゼンなんですが、自分に向けて喋らないといけないテーマのとき、なにを使ったらいいと思いますか。
ボブ: 『ハムレット』ですか。
コミネ: さすが筑波大学出身です。正解です。