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長男が明かす、真屋順子さんが 「全身衰弱」で亡くなるまで

闘病17年の記録

「人生100年時代」が到来するのだという。私たちは老後をどう生きるべきか。老人性うつ、安楽死、看取り、有名人の死生観、死ぬ前にやっておくべきこと――様々な角度から考えた。長男が明かす

壮絶な闘病生活

「早く殺して……」

母、真屋順子さん(享年75)に繰り返し懇願されたことを、一人息子で所属劇団代表の高津健一郎さんは忘れられない。

昨年12月28日、『欽ちゃんのどこまでやるの!』のお母さん役として、お茶の間の人気者だった真屋さんが亡くなった。17年間にも及ぶ壮絶な闘病の末の最期だった。健一郎さんが振り返る。

「始まりは'00年12月23日でした。ホールでの司会の途中、袖に引っ込んだときに突然倒れ、救急車で搬送されたのです。脳出血でした。

4日半、意識不明で、目を覚ましたときには左半身が全部マヒ。数ヵ月のリハビリの後、補助具でなんとか体を支えられるようになりました。

'01年には、かねて出演していたNHKの情報番組に車椅子で出演する形で、仕事復帰も果たしました」

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だが、真屋さんを再び病魔が襲う。'04年に脳梗塞を発症したのだ。脳出血した患者には、出血が広がらないように血を固める薬を投与する必要があり、脳梗塞のリスクが高まるのだという。

「懸命にリハビリをしてある程度回復しても、脳梗塞が発症すると、一度は寝たきりになります。そうすると、それまでのリハビリがご破算になるどころか、マイナスになってしまう。真屋は'15年4月までに脳梗塞を5回、繰り返しました。

本人にとっても大きなショックで、2度目のときは自暴自棄になりました。『もう死にたい。生きていても仕方がない』と。それでも、リハビリはやめませんでした。

そんなとき、リハビリ仲間のおばあさんに『女優のあなたのリハビリ姿がどれだけ人を勇気づけていると思っているの?』と声をかけられたそうです。真屋は帰宅後、『これは使命かもしれない』と漏らしました。

父の高津住男もこう言いました。『せっかく女優なんだから』。一般の人たちは、人前に出て発信したいことがあっても、そう簡単にはできません。でも、女優なら、病魔に苦しむ自らの姿に意味を持たせて発信できるのではないか、ということでしょう。

医学的な見地から、いくらリハビリをしても、回復には限界があると私は考えていました。しかし、父は奇跡が起きて、真屋が再び舞台に立てるかもしれないと思っているように見えました」

 

リハビリ生活を送りながら、夫婦二人三脚で、病気で苦しむ人や介護する人たちを励まそうと講演活動に勤しむ。

そんな二人に、天は情け容赦なく試練を与えた。'09年、高津さんが肝臓がんを患っていることが判明。すでにステージ4だった。

健一郎さんが続ける。

「医師からは長くても1年と余命を告げられましたが、高津には知らせませんでした。真屋に伝えると、本人に言う可能性もあり、体調のこともあって、真屋にも伝えていません。高津は翌年、自宅で逝ってしまいました。

亡くなった後、真屋は『私のせいだったかもね』と漏らしていました。妻の介護に尽くしたから、自分の健康まで意識が回らなかったのではないかと。また、看護のストレスで無理をかけたのかもしれない、と」

夫の死というストレスが、さらに真屋さんの身体を蝕んでいく。葬儀の直後に真屋さんは自宅で転倒し、骨折。入院先で心不全が発覚し、その治療後、次は腹部大動脈瑠が発見される。

「鎮痛剤を打っても苦しそうで、涙を流しながら『早く殺して』と懇願する姿は残酷すぎて、見るに堪えませんでした。認知症のような症状も出てきて、高津が亡くなったことも十分に理解できていなかったようです。

去年の夏以降は、ベッドから動くこともできなくなりました。薬は服用していたものの、医療行為は酸素吸入くらいになっていた。12月10日には、食事も摂れなくなりました。

そういうときは点滴で栄養を補給してきたのですが、もう体が点滴を受け付けないようになっていて、むくみが出てしまう。そうなると、一日の摂取カロリーが生命維持に必要な分を下回るので、衰弱する一方になります。

あとは筋肉と骨を消費して、貯金を切り崩すようにしか生きていけないという残酷な宣告でした」(健一郎さん)