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元金融プロの作家が、歴史小説を通して本当に訴えたかったこと

波多野聖が描く「寛容さ」と「人間愛」

恋愛を超えた「人間愛」

―この度上梓された『花精の舞』は明治中頃に能楽師の家に生まれた女性を主人公にし、激動の時代を生き抜く彼女の姿が活写されています。

主人公の左近綾は、三姉妹の次女として神田に生まれます。女の子ながら能楽師になりたいと志し、幼い頃から厳しい稽古に励んでいきます。そうしたなかで、たぐいまれな審美眼を備えるようになり、自分で自分の進む道を拓きながら凛と生きる、新しい女性へと成長していきます。

僕は以前、ファンドマネージャーをしていまして(現在は引退)、これまでの著作は経済や金融の世界を描いたものがほとんどでした。今作のように歴史小説を、しかも若い女性を主人公に書くのは、まったく初めてのことです。

物語の時代背景となっている明治中期から大正、戦争の足音が聞こえる前までの昭和初期は、僕自身が最も好きな時代です。それまでの文化を引き継ぎながらさまざまな産業や新しい文化が勃興し、美と気品にあふれた暮らしがこの時代にはあった。

それは日本だけのことではなく、パリやロンドンをはじめ、1920年代の主要都市はどこもエレガントな雰囲気を持っていたのです。そんな時代への憧憬が、この小説執筆の強い動機になっています。

―成長した綾は女子英学塾に通い、芸術学や宗教学に興味を持つ才媛となっていきます。

綾は、二松學舍に学ぶ重光伊織、帝大生の高見友則と知り合います。伊織は神戸の貿易商の御曹司で、銀の匙をくわえて生まれてきたような男。一方、友則は大物官僚の息子で、秀才の誉れ高い男。どちらもエリート中のエリートで、非常に恵まれています。かつてはこういう真のエリートもたくさんいたわけです。

今のエリート、金持ちとの違いは、金銭的にも地位的にも恵まれはしても、それに縛られたり振り回されたりするような人物ではないということですね。お金よりも先に、人間の本質、社会や生活のあるべきかたち、自分たちの責務として何をすべきかを考えられる人間です。この時代にいたそうした男たちの姿も書いておきたいという気持ちがありました。

―3人の青春は、勉学に遊びにと、華やかに描かれていきます。

綾の能の舞を見たことをきっかけに、伊織と友則はそれぞれ、彼女に惹かれていくようになります。綾が舞ったのは『羽衣』という演目。この中で天女に羽衣を返したら天女が天上に帰ってしまうように、綾も羽衣を舞うとどこかへ消えてしまう。この舞は綾に惹かれる二人をそんな心持ちにさせるのですね。

 

能の形式でいうと、『羽衣』は「複式夢幻能」といって、世阿弥が完成させたあの世とこの世を行き来する物語です。綾は、幼い頃から能をやることで、あの世とこの世の揺らぎの中に美の本質を見出すようなところがあったのでしょう。伊織にしても友則にしても、綾のそんなところに惹かれたのかもしれません。

この3人の関係を通して、僕が描きたかったのは、恋愛を超えた“人間愛”です。男二人にとって綾は恋愛対象でありながら、人間としてリスペクトできる存在でもありました。伊織と友則にも強い絆があり、お互いを尊敬し合っています。そんな中で、綾はどちらかを伴侶とする苦渋の選択をするのですが……。

おいしいものは心を開く

―どちらと結婚するのかは、ひとつの読みどころですね。ところで、この小説にはもうひとつの視点、昭和60年を生きる綾の回想が要所要所に入ってきます。

この小説は、綾の成長の物語だけではなく、現在の綾が回想をする二重構造になっています。綾は戦後に出家して尼僧になり、「比丘尼」と呼ばれる設定です。比丘尼は、滋賀の小さな寺で静かに暮らしています。ほとんど取材に応じない比丘尼を、編集者の安西佳鶴子が訪ねます。

―二人が食事をしながら優雅に語り合うシーンは独特のファンタジックな雰囲気があります。

そこで出てくる「常夜鍋」は、僕の得意料理でもあるんですよ(笑)。おいしいものは人の心を開きますから、二人のシーンは人が人を受け入れる「寛容さ」を象徴しているかな、とも思います。