在日ロシア大使が最後に語った「日ロ関係の懸念と期待」

したたかで狡猾な外交官の直言

プーチン大統領の「目と耳」

昨年12月、一人のベテラン外交官が任務を終え、日本を去った。在日ロシア特命全権大使エブゲーニー・アファナシェフ大使だ。

2012年4月、大使として日本に赴任。もともとは中国の専門家で、中露の国境交渉をまとめた当事者の一人でもある。ラブロフ外相の一期先輩で、シベリアのチタ生まれ。実直な風貌で飾り気のない人格であるが、「したたかで狡猾な外交官」と評する人もいる。

アファナシェフ大使は、2012年プーチン大統領が大統領選挙で圧勝して、大統領に復帰する直前に大使として日本に赴任。形式的には任命は前任者のメドベージェフだが、すでにプーチン氏の大統領復帰は決まっていた。

プーチン大統領は、大統領選挙の前、日ロ関係について「はじめ、という号令をかけよう」と述べて強い意欲を示していた。ロシアでは大使は大統領の目であり、耳である。アファナシェフ大使は日本におけるプーチン大統領の目と耳として赴任した。

このベテラン外交官が日本を去る直前、NHKの解説委員を務め、モスクワ支局長などを歴任したジャーナリストの石川一洋氏が「最後のインタビュー」を行った。

「日本は我々の重要な隣国であり、世界第三位の経済大国であり、地域の、そして世界の中での重要なパートナーである。貴国との間の相互利益に基づく、友好的な、善隣関係を築くことはロシア外交の優先事項の一つである。

ロ日関係は、それぞれの国益という観点だけでなく、アジア太平洋地域の安全保障、安定、そして着実な発展のためにキーとなるファクターの一つである。重要なのは、ロシアと日本は隣国であるということで、変わることはない。これだけでも相互利益となる協力と友好の基礎となるものだ」

日ロ関係についてそう振り返るアファナシェフ大使。ロシア事情に精通する石川氏の解説とともに、日ロ関係のこれから、経済発展、北方領土、そして北朝鮮危機についての大使のラストインタビューをお届けする。

(なお大使は南クリルという用語を使っているが、日本にとっては北方領土であり、択捉、国後、色丹、歯舞群島の北方4島のことであることを付記しておく)

 

安倍総理をどう評価しているか

大使が日本に赴任した2012年当時、日ロ関係が長く停滞していた。2010年、メドベージェフ大統領が北方領土の国後島を訪問して、日ロ関係は冷却化した。その原因の一端は日本側にある。2007年、第一次安倍政権があっけなく瓦解、それから自民党政権は福田、麻生と代わり、そして民主党政権になって鳩山、菅、野田とほぼ一年おきに首相が交代した。

その日ロ関係に転機が表れたのが、2012年12月。自民党が総選挙で歴史的な大勝を収め、安倍晋三が6年ぶりに総理として復帰したときからである。

アファナシェフ大使は安倍総理の日ロ関係への個人的な思いと、日ロ双方の政権の安定が重要な両国関係発展に大きな役割を果たしていると指摘する。

大使「安倍総理が、政治、経済、そして文化人道分野においても、ロシアとの関係発展に大きな個人的な意欲を注いでくれた。大使としてとても嬉しいことだ。

日本がロシアとの関係を日本外交の重要課題の一つとしていることは知っているし、それは正しいことだ。ただ安倍総理が権力に復帰するまでは、日本では総理と内閣がしばしば交代して、ロシア政策の継続性は維持されるとしても、長期的な関係を見通すことはできなかった。

その後、ロシアと日本において政治権力が安定したことがあって、両国首脳の間の個人的な化学反応を起こすことができた。そうした個人的な関係はほかの大臣や政治家などの間にも生まれている。

5年8か月を過ごした大使として、その国の指導者への評価を述べるのは礼儀正しくない。ただ安倍総理には、ロシアとの関係、あるいは来日するロシア指導部との会談に配慮を頂いたことに感謝している。そして対ロシア政策に新たなアイデアを探し、新しいアプローチを実現しようという総理の目的意識は、必ず実を結ぶと確信している」

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――もしも大使として赴任した時の期待と今、離任するときの日ロ関係を比較するならば、その評価は?

大使「率直に言えば、この五年間には様々な時期があった。良い時期もあれば、良くない時期もあり、上昇もあれば、落下もあった。しかし全体で見れば、二国間の関係は着実に発展したと言えるだろう。日ロ関係の中心的役割を果たしたのは、プーチン・安倍という両国リーダーによって維持された、絶え間ない対話である。

最も重要なイベントは、両首脳の相互訪問が実現したことだ。2013年には安倍総理が10年間の空白を経て、モスクワを公式訪問し、共同声明に調印したことが新たな『行動計画』となった。2013年には両国の貿易高は350億ドルに達した。高レベルの対話が始まり、その中には外務防衛2プラス2、そして安全保障会議とNSCの対話、そして平和条約交渉が始まった。

3年半後の2016年12月、プーチン大統領が日本を訪問した。こちらも11年間途絶えていたものだ。大統領は、安倍総理の故郷山口を訪問し、さらに東京を訪問した。訪問の結果として、80の文書、そのうち68はビジネスに関する合意が調印された。そして南クリルにおける共同経済活動に関する協議が始まった。それは平和条約に向けた重要な一歩となりうるものだ。

公式訪問以外にも安倍総理は、二度にわたってソチ(2014年と16年)とウラジオストク(東方経済フォーラム16年、17年)を訪問し、またモスクワにも17年4月訪問した。

また国際会議の場をも利用した首脳会談が行われ、首脳会談の数は20を数えた。そのような活発な両首脳の交流は、他のあらゆるレベルでも相互交流を首脳と同様に活発化するという刺激となり、信頼と相互理解を促進することとなった」