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「毒親」に育てられた娘も「毒親」に…断ち切れない負の連鎖

育てられない母親たち【15】

ノンフィクション作家の石井光太さんが、「ワケあり」の母親たちを密着取材していく本連載。彼女たちが「我が子を育てられない」事情とは?

* 石井光太さん記事バックナンバーはこちら http://gendai.ismedia.jp/list/author/kotaishi

「毒親」という言葉がある。

本来、親は子供にとって養育者であるはずだ。だが、毒のように有害な存在でしかない親もいる。そういう親を「毒親」と呼ぶのだ。

ある女性は子どもを育てることができず、施設に渡した。彼女はこんなことを言っていた。

「私は毒親なのかもしれません。でも、私の親もまた毒親でした。毒親が毒親をつくったんです」

毒親が毒親をつくるとはどういうことなのか。

 

母親がシャブ中

松中亜津沙(仮名)は、父親の顔を知らなかった。生後5ヵ月の時に両親が離婚して母親に引き取られたためだ。

亜津沙の母親は、陽子(仮名)といった。

陽子は、若い頃は地元では名の知れた不良だった。中学生の頃から暴走族のメンバーと仲良くして家に帰らず、ケンカや違法薬物の使用をくり返していた。中学卒業後は数えられないくらい補導された上、少年院にも入っていたらしい。

少年院を出た後に付き合っていたのが、暴力団関係者の男だった。覚せい剤の売買を生業としていたらしい。おそらくチンピラのような人間だったのだろう。陽子との間に亜津沙が生まれてまもなく、別に女性をつくっていなくなったそうだ。

シングルマザーとなった陽子が収入源にしていたのが、その男に教えてもらった覚せい剤の売買だった。彼女は地元の不良や暴力団員にコネクションがあったため、覚せい剤の入手は簡単だった。それで元締めのような男に頼んで卸してもらい、それを昔の仲間に売っていたのである。

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家で売買していたらしく、しょっちゅう見知らぬ男たちが出入りしていた。亜津沙は目の前で大人たちが注射で覚せい剤を打ったり、意味不明の言葉を叫びながら笑い転げたりしているのを見て育った。

亜津沙が子供の頃、陽子は二度逮捕されている。1回目は起訴を免れたが、2回目は数年間刑務所に入っていたらしい。その間、亜津沙は祖父母の家に預けられている。

再び亜津沙が母と暮らしはじめたのは、小学6年の時だった。陽子は出所してすぐに覚せい剤の売買を再開したが、1年も経たないうちに脳梗塞か何かで倒れて、左半身が不自由になった。不摂生な生活をつづけた影響もあったのだろう。

この頃から、家に覚せい剤を買いに来る客が減り、急激に貧しくなっていく。陽子は生活保護など福祉手当を受けていたが、その金はほとんど自身が使用する薬物代にあてて消えていた。

おかげで亜津沙はずっとお金に困っていた。朝起きると、母親と顔を合わせるのが嫌なのですぐに外へ出た。だが、給食費を払ってもらえず、周りからはいじめられるので、学校へは行かない。

私服のまま街をうろうろしてスーパーの試食コーナーを回ってお腹を膨らませたり、コンビニのゴミ箱から賞味期限切れのおにぎりを拾って食べたりするのだ。学校へ忍び込んで、給食室からパンを盗んできたこともあった。