現代人の「復讐」は安易すぎる…あの国民的逸話が教えてくれること

「SNS炎上」とどう向き合えばよいか
諸田 玲子 プロフィール

民意は恐ろしい。変わりやすく、予測しづらく、これほど扱いにくいものはない。

私はSNSに疎くてツイッターもラインもやっていない。それでも、ネットで一個人が執拗に貶められたり、「炎上」などという言葉を耳にしたりするたびに、<蟻の穴から堤が崩れる>光景が目に浮かぶ。

いまやこの蟻は高精度の触手を働かせて他人のアラを探しまわり、正体を隠したまま思わぬところから速攻をしかけてくる。蟻一匹と思って油断をしているとあっという間に巨大な民意にふくれあがって、人間らしい思いやりという堤を押し流し、ヒステリックな暴徒の群れと化してしまう。

昨秋、アーサー・ミラーの「るつぼ」という芝居を観た。私がまだ若かりしころ一世を風靡していた米国演劇のひとつで、少女の悪意が善意の人々を無実の死に追いやってしまう<魔女狩り>のようなストーリーだ。むろん当時も背筋が凍りついたものだが、今回はネット社会の現在と重ね合わせてより切実な胸苦しさを感じた。

そういえば、つい先日観たテネシー・ウィリアムズの「欲望という名の電車」も同じだった。かつて何度か観たときは、虚飾に満ちていながらも古風で繊細な文明が、粗野で暴力的な喧噪の中で滅びてゆく悲哀に胸を熱くしたものだ。が、今回はそれ以上に、噂がいかに人の心を蝕んでゆくか、虚実さえもくつがえしてしまう悪意に慄然とした。

まさに、現代にこそぴったりの芝居ではないか。なぜなら私たちは、常に不特定多数の悪意という恐怖にさらされているからだ。不特定多数には顔がない。だれかがだれかを憎いと思ったら、ただネット上に中傷をばらまくだけでよい。

そして、安易になびく民意よりさらに恐ろしいのは、民意をあやつる為政者である。巧妙に姿を隠した為政者に右往左往させられながらも、果敢に立ち向かう人々が歴史を作ってきたとしたら、人工知能(AI)やSNSという巨大な扇動者を前に、現代人はどう立ち向かえばよいのだろうか。

 

復讐したくてもできない相手とどう向き合うか

忠臣蔵に話を戻そう。神崎・茅野・横川が討ち入りに加わったのは、はたして<浅野内匠頭への忠義>だけだったのか。『森家の討ち入り』の中で、私はこう書いた。

「赤穂四十七士の中に、他家から移ってきた者がいたとしてもふしぎはない。とはいえ、五万石の大名家なら夥(おびただ)しい家臣がいたはずで、その中のわずか四十七人が己の命を棄てて主君の仇を討ったのである。主家や主君によほど思い入れのある古参、長年の恩義に報いたいと逸る強者ぞろいと考えるのがふつうだろう」

「それなのに、神崎与五郎、横川勘平、茅野和助の三人は、赤穂浅野家ではいずれも新参者だった。三人とも津山森家がお取り潰しになったのちに浅野家へ士官している。共通点はそれだけではない。三人は、少なくとも、元禄八年の十月から総奉行・式部衆利の下で江戸郊外中野村の御囲築造で従事していた」

三人が心底怨み、復讐を誓った相手は<吉良上野介>その人だったのか。復讐したくてもできない仇、顔の見えないなにかがあったのではないか。私は、それが書きたかった。

過ちと失望をくりかえしながらも、歴史は私たちに語りかけている。

歴史にとどまらずビジネスでも日常生活でも、民意を標榜する悪意にまどわされないよう、せめて付和雷同しない心意気だけはもちつづけていたいと思っている。

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