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政治家になった元名子役・中山千夏が明かす「軌道を外れた6年」

あれは軌道を外れた6年だった

「おっちょこちょい」で政界進出?

―人気タレントだった中山千夏さんは'80年、約162万もの票を得て、最年少参議院議員(当時)となりました。ご自身の政治家としての『活動報告』を、いま出された経緯を教えてください。

自分がやってきたことを伝えたいと、これまでいくつか本を書いてきました。子役時代の思い出は『蝶々にエノケン』にまとめ、タレント時代のエピソードは『芸能人の帽子』に書いたんです。政治家時代のことも伝えなければとわかっていても、ずっと書くのがつらかったんですね。今回、長い時間を経て、ようやく書けました。

―書くつらさは、どこから来るものでしたか?

子役もタレントも、芸能なんです。子供だから、必ずしも自分の意思で始めたわけではないけれど、芸能は好きなことだったから、楽しくやってきたんですね。ところが国会議員は、気づいたらなっていた、おっちょこちょいでなってしまった、という感じでした。どうして政治家になったのか、なぜ大変だったのか、自分でもよくわかっていないから、書けない。

それが最近、「個と社会」という視点を得たことで、ようやく整理ができたんです。

―第1章で「個と社会」について述べられています。人は「個人」であると同時に「社会人」であり、二つは複雑に絡み合っていると。長く芸能の世界で「個」を磨いてきた中山さんが、「社会」的存在の政治家になったことで、様々な壁にぶちあたられたわけですね。

社会的に行動できていたら苦労はしていなかったんですけど、基本的に私はすごく我の強い人間。本書にも書いたように、政治家ってこれ以上ない「社会」的な立場でしょう。だから、大変だったんだと腑に落ちたんです。芸能人にもそういう側面はあって、煩わしかったんだけど、イヤならやめちゃえばいいと思ってやってきた。

でも政治家には、自分が名乗り出てなったわけだからそうはいかない。私としては自分が出たくて出たというより、仲間の期待に応えて出たわけだけれど、投票を呼びかけたのは事実です。162万人の人たちには責任を感じていました。

もちろん、162万人が私のことをずっと気にしているとは思わないんですよ。それでも投票してくれた人たちに、私はどういう議員だったのか、そして今、何を考えているかを書いておきたいと思ったんです。

―報告の中で〈最もアタマを悩ませた〉のは、全国区制から比例代表制へ、という選挙制度の変更によって起きた〈政争〉だと書かれています。

私のような無所属のタレント議員が国会に出たことへの反動で、全国区は比例区と名前を変え、政党による選挙へと選挙制度が変わってしまった。対抗策として、私たちは無党派層の結束を呼びかけたのですが失敗に終わります。このことも、今になってようやく、客観的に振り返れました。

いま改めて当時を振り返って

―6年の議員活動の後、改選選挙を戦って落選。中山さんの政治家時代は終わります。〈毒にも薬にもならない議員だった〉と総括しています。

市民運動は今でもやっているけど、政治家には馴染まなかった。先ほど話した「個と社会」のバランスも政治には向いていなかったし、「統計」ですべてを判断する政治も合わない。5人中、1人がすごく損をしても、4人が幸せならよしとするのが政治の仕組みです。でも私は、それじゃ困ると思う。

 

全員が損をしない方法を捻り出そうとするタチだから、現代の政治とは反対を向いているんですね。

―今でも中山さんのように芸能界を経て、政治家に転身する人は少なくない。

議員になる前に何をやっていたかは、政治家の資質には関係ないと思ってます。ただ、タレント出身の議員のメリットが一つだけあります。それは「注目」されていること。

私の議員時代もそうでしたが、政治活動をせず、怠けている議員はたくさんいました。でもタレント議員は常に、世間からの「監視」があり、それは議員にとっては成長できる環境なんです。