ある中国映画大ヒットの背景に見える「失われた世代」の傷痕

当局の圧力で一度はお蔵入りになるも…
古畑 康雄 プロフィール

中国の傷は癒えない

さて、文工団解散後、ある者は軍の幹部だった父親のコネクションを生かしてビジネスで成功し、ある者は華僑と結婚して海外で裕福な生活を送る中で、負け組となったのは身体と心に障害を負った劉峰と何小萍の2人だった。

90年代初め、海南島で劉は三輪(自転)車で本を売り歩いて生計を立てていたが、地元政府の取り締まりにあって三輪車を奪われる。月300元の収入しかない劉に政府の役人は1000元の罰金を要求、争いになり、義手が外れ劉は倒れる。

そこを偶然通りかかった元文工団の女性がポケットマネーから1000元を出してくれた。劉は1000元を返すと言い張るが、親のコネを使ってビジネスで成功したこの女性からは断られる。一見温かい友情を感じさせるが、持てる者と持たざる者の間にある深刻な格差を示している。

 

ラストは(劉と何の)2人が戦友の墓参りに訪れ、駅で肩を寄せ合うところで終わる。2人は結婚により結ばれることはなかったが、お互いに助け合って生きているというナレーションが流れる。社会の低層で懸命に生きる2人に、原作者や監督の温かい目が向けられている。

「初心を忘れなかった馮監督」というネット上の評論は、「中国では幸運なのは永遠に特権階級の子弟であり、運に恵まれないのは永遠に低層平民の子どもたちだ」として「馮小剛は劉峰や何小萍の低層の立場から物語を叙述している」と指摘し、「馮監督は成功し上流階級と付き合うようになったが、初心を忘れていない」と高く評価した。

この映画を見る多くの世代が「銀髪族」、つまりシルバー世代であり、彼らは映画を見て涙を流した。政治的動乱や戦争に短い青春を奪われた思いが共通するのだろう。

「映画『芳華』をどう理解したらよいか」という微信に載った評論は「(『芳華』)を見終わって、この映画は21世紀の『傷痕電影(傷跡映画)』と感じた。(文革の悲劇を描いた)1980年代の『傷痕文学』とはるか遠く離れて向かい合っているが、当時と比べて、より深い意味合いが込められている」として、「文革と毛沢東時代」「中越戦争」「改革開放がもたらした社会の激変」などが作品の構成要素として織り込まれていると指摘。

「この映画は非常に真実を描いている。人々が家や車、お金にしか関心がない現在、ノスタルジアの感情は魂の洗礼(汚れた心を洗い流す)となる」「若く美しい時は過ぎ去ったが、真、善、美なるものは失われることはない。劉、何の2人がホームで寄り添うシーンはいかに心あたたまるものだろう!」と結んでいる。

若々しくセクシーな文工団の女性たちの身体を強調したシーンは当時の状況にそぐわないなどの批判もあるが、商業映画としては戦闘シーンと合わせ、このような観客を引きつけるビジュアル効果は必要だろう。

厳しい検閲制度やなど、多くの制限もある中で、政治的に敏感なテーマである文革や中越戦争を取り上げ、これまで歴史の被害者であるにも関わらず冷遇されてきた人々に「集団的癒やし」(ドイチェ・ヴェレ)をもたらした。興行収入の高さがこの映画の完成度を物語っていると言えるだろう。

私事だが、大学の卒論で陳凱歌監督の『黄色い大地』(1984年)を選ぶなど、30年近く、様々な中国映画を見てきた。映画はそれぞれの時代の中国社会を知る優れた教材だと考えている。

この『芳華』は2時間の作品に「政治や歴史、戦争、民族、体制、青春、人間性を描いた」(ネット上の評論より)深みのある作品だ。米国でも上映されているが、2018年に日本での公開を期待したい。