ある中国映画大ヒットの背景に見える「失われた世代」の傷痕

当局の圧力で一度はお蔵入りになるも…
古畑 康雄 プロフィール

だが劉峰は長年思いを描いていた女性へ愛を告白、抱きしめたところを仲間に目撃され、組織から取り調べを受ける。当時は革命や共産党、毛沢東への忠誠が個人の感情よりも優先された時代で、文工団内部の恋愛はご法度だった。

女性が自らの保身のため「劉に抱きつかれブラジャーを外されそうになった」と嘘の証言をされた劉は激昂し、それが原因で文工団を退団、最後には中越戦争(1979年)の最前線に送られ、ベトナム軍との激戦で右腕を失う。

一方、劉を慕っていた何小萍は、組織の劉に対する処分に抗議するため、舞台上で踊ることを拒否したため、同じく文工団を去り、中越戦争が起きると野戦病院で看護士となる。

全身に大やけどを負った瀕死の若い兵士ら、多くの傷病兵が担ぎ込まれる血まみれの“戦場”で、彼女は看護に全身全霊で取り組む中、ついに心を病んでしまう。

一方で文工団も時代の流れに合わないとして解散が決まり、団員は送別会で涙を流しながらそれぞれの人生に進んでいく。

 

置き去りにされた中越戦争

映画後半の圧巻とも言え、話題になっているのが中越戦争のシーンだ。中越戦争を描いた中国映画としては、まだベトナムとの紛争が続いていた1984年、謝晋監督(日本でも公開された『芙蓉鎮』で有名)による「戦場に捧げる花」の戦闘シーンが生々しい。

だがそれから30年以上を経た本作は、ハリウッドの戦争大作『プライベート・ライアン』や『フューリー』のような映像効果が加わり、銃弾の閃光が飛び交う中、兵士が次々と血まみれになって倒れていく。

中越戦争は1979年、大量虐殺を起こしたカンボジアのポル・ポト政権に、ベトナムが軍事介入したのをきっかけに起こった。

ポル・ポト政権を支持していた中国は、元からソ連寄りだったベトナムと関係が悪化、中越戦争はベトナムへの「懲罰」として当時の最高指導者鄧小平が発動したが、実際はベトナム戦争を戦った百戦錬磨のベトナム軍の前に中国軍は多くの犠牲者を出し、軍事的には完敗を喫した。

このため多くの元兵士らは革命戦争のように英雄として賞賛されることもなく、多くは体や心に深い傷を残したまま、歴史の中に置き去りにされ、さらに改革開放後の経済の高成長に彼らの多くは取り残され、十分な補償も得られていない。このため中越戦争などの退役軍人による抗議デモが各地で頻発している。

今回この映画は国慶節休暇の10月初めに公開される予定だったが、映画の内容が退役軍人を刺激し、10月に開かれた共産党の党大会に影響するのではとの懸念から、突如公開が延期となった。

今回改めて上映が認められたが、雲南省昆明では400人もの老兵が軍服を着て集団で鑑賞に訪れ、さらに一部の地区では映画館に万一に備え警察が配置されたという。