平成は残り1年4ヵ月で幕を閉じる。平成30年間のあいだ、私たちの心を泡立たせてきた30人は、いまどう生きて、何を考えているのか?平成のある瞬間、時代の寵児だった顔ぶれを直撃した。
住民4人が死亡し、63人が急性ヒ素中毒となった和歌山カレー事件が起きたのは平成10(1998)年のこと。いまも林真須美死刑囚は大阪拘置所におり、再審請求中だ。
事件発生当時、保険金詐欺容疑でともに逮捕された夫の林健治氏(72歳)が、真須美死刑囚に最後に会ったのは、昨年6月のことだ。
「面会では、蟹みたいに口の端を泡立てて、えらいスピードで話していたな。差し入れではゼリーが欲しいとか、支援者にはこう伝えてくれとか……。前は何度も離婚届を送りつけてきたんだが、本気じゃないんやろ、もうそんな話はせんかった」(健治氏)
健治氏は'09年に脳出血で半身不随になり、今は生活保護を受ける身だ。和歌山県内の8畳一間のアパートに単身住む健治氏が続ける。
「生活保護で、月に12万~13万円の生活やな。家賃は3万8090円で、カレー事件の頃の豪邸とは雲泥の差の生活や。ただ、食事は3食ともヘルパーさんに作ってもらっている。
さすがにワシは和歌山では有名人やから、顔は知られとる。だから、ヘルパーさんも、カレーだけは一度も作ったことないわ(笑)。
カネがないから、電子レンジの調子が悪くてもすぐには買えないギリギリの生活で、情けないわ。
だが楽しみもあって、毎日のコーヒーと、週2回のデイサービスのカラオケや。毎週20曲は歌うかな。滋賀刑務所でもカラオケ大会で決勝に残ったほどや、誰にも負けんよ」
そんな健治氏は、今も妻の無罪をかたく信じているのだという。
「ワシや真須美は保険金(詐欺)のプロやった。カレーにヒ素を入れて、誰かが被害に遭っても真須美はカネにはならん。プロはカネにならんことやらんねん。
裁判は、最初から真須美を犯人と決めつけたが、再審請求の過程で、ヒ素は当時の和歌山でもちょっとした農家なら手に入ることもわかってきた。必ず、犯人は他にいる。ワシはそう信じているわ」
塀の中の妻からは、「リハビリしっかりやれ」「散歩して、歩けるようになれ」といった手紙が、たびたび届くのだという。事件の真相はわからないが、夫婦愛だけは本物だろう。