日経「私の履歴書」が話題騒然「江夏豊の高校時代」を語ろう

後藤正治×猪飼裕實×尾崎正芳
週刊現代 プロフィール

四球か三振か

後藤 それにしても、中学までマトモな野球経験のなかった江夏をピッチャーに抜擢した塩釜監督はすごいですね。江夏の抜群の素質もさることながら、監督本人が野球経験者じゃなかったからこそできた大胆な起用に思えます。

猪飼 ガマさんは見た目からして強烈でしたね。いつも茶色がかったサングラスをかけていて、ぱっと見たときの印象は完全にそのスジの人。とても学校の先生には見えなかった(笑)。「野球は根性や。ケンカするつもりでやれ」なんて言う。

後藤 監督が考案した練習は相当キツかったそうですね。朝練をして、授業が終われば暗くなるまでまた練習。グラウンドが使えない日は、川岸をひたすら走りこませる。江夏も「何度やめたいと思ったかわからない」と語っていました。

猪飼 常識はずれのユニークな練習も多かった。例えば、「砲丸特訓」。

豊の重い球に慣れるため、ミットをはめてマネージャーから至近距離で砲丸投げ用の鉄玉を投げてもらうんです。それを片手で受け止めるから、ズシッズシッとした重みが腕全体に響く。

尾崎 でも、そういう練習に耐えるうちに猪飼も豊の投げる球をしっかり捕れるようになった。

豊のボールのスゴさを改めて認識したのが、僕らが2年生の時に行われた日米高校野球大会でした。そこで、ハワイ選抜と大阪選抜が対戦することになった。メンバーに名を連ねていた豊が先発を任され、僕らも日生球場に応援に行ったんです。

キャッチャーはPL学園3年の福嶋(久晃・後に大洋ホエールズ)さんでしたが、春の甲子園で準々決勝まで勝ち進んだチームのキャッチャーが、豊の放ったボールをボロボロこぼす。

PLの正捕手が捕れんものをちゃんとグラブに収めている猪飼はエラいな、と思ったのを憶えています。

猪飼 私がキッチリ捕れるようになると、アイツは不思議そうな顔をするんです。「俺の球がそんな簡単に捕れるわけあらへん」みたいな。それで、ますます体重ののった重い球を放り込んできよる。たまらんですよ(笑)。

尾崎 でも豊も大変やったよね。300球をゆうに超えるような投げ込みをさせられたあとで、スタミナをつけなあかんというのでさらに延々と走らされていた。

猪飼 ああ見えて寂しがりでね。われわれ野手が練習を終えて「先に帰るわ」と言うと悲しそうな顔をすんねんな。性格的に「待っててくれ」なんて口に出さないんやけど、アイツの練習が終わるまでみんなで待っていた。

後藤 ひとつ意外だったのは、高校2年生くらいまでの江夏が、まったくのノーコンだったということです。プロ入り後に針の穴を通すようなコントロールで三振の山を築いた姿からすると、まるで別人だったとか。

猪飼 もう、最初は致命的でしたわ(笑)。アイツに出すサインは指1本、2本、3本、4本の4つだけ。それぞれ、外角低め、高め、内角低め、高めという意味だったんですが、あくまで「努力目標」。どこに来るかは風に聞いてくれ、という感じでした。

尾崎 四球、四球、四球でノーアウト満塁にしてから三振を3つ奪ってチェンジみたいな回が何度もあって、守っているほうは疲れる(笑)。

猪飼 ストライクが入らないとすぐにカッカしよんねん。それをなだめて落ち着かせるのもキャッチャーの仕事やった。せやけど、私の記憶では、豊のボールをバットの芯で捉えられた打球は、高校時代を通して2回くらいしかなかった。

つまり、四死球さえ出さなければ負けることはない。「江夏といっしょなら甲子園に行ける」とチームの誰もが信じていました。