プレーヤーにとっても観客にとっても、「大物食い」はスポーツの醍醐味である。だが、圧倒的な強者に気合だけでは勝てない。準備と戦略があってこそ可能な奇跡なのだ。
●<1:夏の高校野球編>中島彰一(元取手二高捕手)が語る
「ワンポイントリリーフなんて実戦でもやったことがなかったから、耳を疑いました。でも正解でした。あれで石田が生き返ったんです」
当時、取手二高の捕手で、現・新日鐵住金鹿島の監督を務める中島彰一はこう回想する。
'84年夏の甲子園決勝の9回裏、取手二は最大のピンチを迎えていた。
この試合、桑田真澄・清原和博のKKコンビを擁し、史上最強とも言われたPL学園に対して、取手二は調子を落としていた桑田を攻めたて、4対3でリードを守っていた。
「1点勝っていて、『先頭バッターを抑えれば勝ちだ、優勝だ』とつい思ってしまったんです。しかも打席に入ったPLの1番・清水(哲)君はあの日全然当たっていなかった。気持ちが緩み、深く考えずにストレートのサインを出してしまった」
甘く入った取手二のエース・石田文樹のボールを振り抜いた清水の打球は、起死回生の同点アーチになる。
同点劇に沸きに沸くスタンド。中島も石田も見る間に浮き足立った。顔面蒼白の石田は、続く2番バッターに死球を与えてしまう。
〈このランナーを還したら……〉
石田の顔に浮かんだ怯えを、取手二の木内幸男監督は見逃さなかった。即座にピッチャー交代を告げる。石田は、泣きそうな表情でライトに走っていった。
「木内さんはミスをすると容赦なく代えるひとだったので、あ、石田はこれで終わりだなと思いました」
ところが、石田と交代でマウンドに上がった柏葉勝己がワンアウトをとるのを見届けると、ふたたび木内はベンチを出る。
告げられたのはピッチャー、石田。木内は、4番・清原を迎える場面でエースをふたたびマウンドに上げたのだ。
「あの瞬間、石田の目が明らかに生き返ったんです。『あ、これは行けるな』と思った。球に力が戻り、清原と次の5番・桑田を完璧に抑えました」
石田の精神状態を瞬時に見抜き、ひと呼吸置かせて落ち着きを取り戻させ、再びマウンドに戻す。木内の目論見は見事に当たった。だが、木内マジックは、延長に入ってもまだ終わらない。
「ベンチに戻った僕たちに、木内さんが言ったんです。『もう俺たちしか(高校)野球をやれないんだ。早く終わんなくていいから、長くやんだぞ』と。あれで、ふと力が抜けましたね」
中島が、決勝の3ランを放ったのは、その直後のことだった――。
「じつはこの試合の2ヵ月前に、PLと招待試合をして、0対13でボロ負けしたんです。みんな、あの試合の悔しさを怨念のように持ち続けて練習していました。
桑田はセットポジションに入る直前、ボールの握りが見えるんです。僕は、それに気がついて、じっと見ていた。そしたら、ストレートの握りが見えました。狙いを絞り、バットを振り抜きました」
屈辱の敗戦からの2ヵ月、雪辱に向けて選手たちは着実に力を積んできた。それを決勝の舞台で見事に花開かせたのが、木内マジックだった。