行き詰まった世界を打ち破るヒントはロシア革命にあった

未来は逆流しながら進んでいく
佐藤 優 プロフィール

ロシア革命から今に通底するもの

沼野 そう、僕なりの理解では、脱構築というのは二項対立では暴力的に切り捨てられてしまう他者の多様性を救う一つのやり方だと思います。こういったポスト構造主義的な考え方は、結局、芸術におけるポストモダンを支えているものでもあるんですよ。

構造主義が一つの世界を構造としてとらえようとするのに対して、ポストモダンはそもそも複数世界的なんですね。これもあるけどあれもある。過去の様々なものがいわばすべて等価なものとして、浮遊している状態になるのがポストモダン的世界です。

西欧では『ポストモダンの条件』(1979)を書いたリオタールがポストモダンの理論家として有名ですが、彼が提唱したシミュラークルという概念がありますね。これは実体なき虚像、オリジナルなきコピーのこと。それが現代の消費社会では浮遊していると彼は説く。しかし、考えてみるとそのようなシミュラークルというのはソ連社会にこそおびただしく存在し、社会を満たしていたわけでしょう。

ソ連の公式イデオロギー文化はそういった表象で溢れていたわけで、これこそ亀山さんの言うソ連公式文化のポストモダン1なんです。だから西側でポストモダンが云々されるはるか以前から、ソ連ではポストモダン状態が成立していたことになる。

亀山 主として今の公式文化におけるポストモダンはイデオロギー的なものに規定されているけれども、非公式文化のほうはむしろ芸術手法的な側面で、それまでのモダン的なものを追求するというところから、過去にも意識が向かった。

つまりモダンというのは常に新しいものを獲得しようとする、前に前に進んでいこうとするものだけど、それに対して新しいものの追求じゃなくて古いものをどんどん取り込むか、あるいは古いもののなかにどんどん入っていくか、非公式文化のなかではそういう手法的な側面でポストモダンは意識されたのかもしれませんね〉

 

近代の限界に挑むことがポストモダンならば、近代以前の世界像、すなわちプレモダンに戻ることによって近代を超克するシナリオも可能になる。ロシア革命によって生まれたソ連は、近代的国民国家を超克するシステムのように見えたが、実態はプレモダンの帝国だったのである。

現代の世界では、国境を越える新自由主義が猛威を振るっている。これはポストモダンというよりも、社会はばらばらの個体(アトム)によって構成されているというモダン(近代的)な世界観の煮詰まったものだ。

新自由主義を超克するために、前に進んでいくのではなく、後退することがこれから真剣に模索されるようになるかもしれない。過去のモデルにわれわれの未来を託していくのだ。こういう反動的革命のモデルとしてロシア革命が再び見直されることになるかもしれない。

『週刊現代』2017年12月23日号より