高倉健の「死後の謎」を追って見えてきたもの

謎多きスターの素顔は…

親族たちが最も気味悪く感じているのが、高倉が死にいたる前後の出来事であり、最期を看取った養女の存在だった。養女についての詳細は拙著に譲るが、映画の関係者はもとより、実の妹でさえ、当人が亡くなるまで、親しい女性が身のまわりにいることを知らなかった。あまりに謎めいた存在なのである。

不可解極まりない養女の一件が、この本を書くとっかかりとなったのは間違いない。だが、取材を続け、単行本として上梓しようと考えた理由は、決してそれだけではない。

ファンはスクリーン上の役柄にときおり漏れ伝わる実生活のエピソードを重ね合わせ、映画スターのキャラクターをイメージする。往々にしてそれはつくられた人物像であることが多いが、なによりプライベート面の露出が極端に少なかった高倉健は、実像そのものを描きにくい。その神秘的な部分が高倉の魅力でもあり、それで満足するファンも少なくない。

当人が語った少年時代の郷里の思い出や映画俳優として鳴かず飛ばずだった頃の苦労話などは、ときおり表に出てきた。だが、それは高倉健という映画スターの実像のほんの一端に過ぎない。

日本の映画史上、最高の俳優と世界から高い評価を受けるようになるその人生の根底に流れるものは何か。その交友関係や女性観、生涯を貫いた人生観、それらを示す高倉健の歴史と生身の姿に触れてみたい、そんな欲求にかられた。

明かされた養女の存在

「スクリーンの健さんはときどき怖いような底光りのする目をするんです。映画を観てると、その目に引き込まれてしまう。ひょっとすると、あれは演技じゃないのじゃないかしら。そんなことまで思ってしまいます。やっぱり最高傑作は昭和残侠伝よね」

そう話す銀座の文壇バー「ザボン」のマダム、水口素子は、熱狂的な高倉健ファンの一人である。65年からの「昭和残侠伝」シリーズをはじめ、「網走番外地」や「日本侠客伝」といった東映任侠映画が高倉をスターダムに押し上げた。

200本を超える高倉作品の原点であるのは間違いないが、最近では「幸福の黄色いハンカチ」や「八甲田山」、「南極物語」や「野性の証明」など、東映から独立した後のヒット作を代表作として挙げる傾向が強い。取材した映画関係者の多くは、高倉健の演技について、こう評した。

「ふつう映画を見た人に、うまい演技だ、とうならせる役者が名優だといわれるでしょ。でも本当はうまい演技と思われたら駄目なんです。演技をしていることをわかっているのだから。任侠路線にしろ、そのあとの作品にしろ、演技と思わせない演技ができるのが健さんなのでしょう」

高倉作品から伝わってくる独特の世界観はどこから来るのか。映画や芸能について素人同然の私は、高倉健の歩みからそこに迫ってみたいと考えた。たとえば小田剛一という男は、どんな生き方をしてきたのかー。それを追ってまとめたつもりの拙著には、予想外の反響もあった。

 

「小田剛一の人生は野性味に満ち、高倉健になるための養分を吸収しながら高倉健が誕生した」

そう評してくださった読者の方もいた。小田青年は終戦間もない頃の明治大学で酒と喧嘩に明け暮れ、道を踏み外しそうになった。俳優になってなお、もがき苦しみながら、やがて映画界の頂点に立つようになる。その体験が演技に生かされているのかもしれない。

その明大時代にテネシー・ワルツを聞いて江利チエミの熱烈なファンになり、映画共演すると舞いあがった。今でいう“おっかけ”のように楽屋に通い詰め、ついに彼女の心を射止める。そんな愛らしい一面もある。

また、「養女のことなんて知りたくなかった」というお叱りの声も届いた。養女のことをスキャンダラスな出来事だととらえ、ファンとして高倉健像を穢された思いだという訴えである。

しかし、私はそうは考えない。誰も知らなかった養女の存在は、高倉が貫いてきた孤高の生涯を象徴する出来事だったともいえ、それも高倉健の歴史の一部である。

高倉健は本名を小田剛一という。健さんファンなら、誰もがその文字を書けるだろう。だが、本名の読み方を知っているファンはほとんどいないのではないだろうか。実際、養女もその本名を知らなかったようだ。(文中敬称略)

読書人の雑誌「本」2017年12月号より