ご存じでしたか?靖国神社にはかつて競馬場があった

東京屈指の娯楽場という一面

あの駐車場のあたりです

閣僚の参拝を巡って、しばしば中国や韓国との論争の火種となってきた靖国神社。政治的な文脈で語られることが多いこの神社だが、かつては庶民で賑わう、東京屈指の娯楽場だったことはあまり知られていない。

その歴史を紐解いていくと、靖国神社はそもそも、幕末の尊王攘夷運動で倒れた志士たちを弔慰する招魂場だった。

当初は、板葺きの仮本殿しかなく、訪れる人も少なかったが、灯明台の建設により東京のランドマークとなる。

 

さらに、この灯明台が和洋折衷のハイカラな造りだったため、新しい時代のシンボルとして人々の心をとらえた。サーカスなども行われるようになり、人気スポットとして靖国神社は有名になる。

そんななか、明治4(1871)年、そのハイカラさを体現するようなイベントが開かれる。

それが日本で主催された初めての近代的な競馬大会だ。この大会は「九段競馬」と呼ばれ、当時の江戸っ子たちのアツい視線が注がれた。年3回ある例大祭の奉納競馬として実施され、神事の一環でもあり、優勝者には賞金も贈られた。

靖国神社の競馬場の一周は約900メートルだがカーブがきつく、落馬が絶えなかったという。それでも最盛期には268頭もの馬が出場し、この神社の名物として人気を博す。

明治の浮世絵師・小林清親の「九段馬かけ」には、当時の様子が描かれており、洋風の乗馬服を着こなす美しい女性騎手の姿が描かれている。

現在注目を集める藤田菜七子騎手のように、当時の観衆も美人騎手に喝采を送っていたのだろうか。

庶民の関心を集めていた九段競馬だが、明治31年11月に突然中止に。『靖国神社誌』によれば靖国神社の馬場は近代競馬を行うには「場所の狭隘を感ずる」ため、打ち切られることとなった。

かつて競走馬が駆け抜けていた場所は現在の靖国神社駐車場にあたる。今は馬の代わりに観光バスが連なり、昔を偲ぶものは灯明台だけとなっている。(井)

『週刊現代』2018年1月6・13日号より