沖縄、原発、宗教…日本の「すべて」をあぶりだす問題の書を試し読み

『アクシデント・レポート』【2】
樋口 毅宏 プロフィール

女性と付き合ったことがない

我々は新大久保で乾杯しました。

「無理に誘って申し訳ありません。家に帰りたくないんですわ。ババアと顔を合わせながら、まずいメシを食いたくなくて」

少しウソを混ぜましたが、本音でもありました。そうしてSの共感を得て、心を開かせようとそのときは考えたのです。いま思い起こしてみても、自分への言い訳なのですが。

「何ニシマショカ?」

若い韓国人の店員が注文を取りに来ます。メニューはSにまかせました。店内をしげしげと見回していたら、彼はこう言いました。

「新沼さんとおっしゃいましたね?(迂闊にも私は彼に本名を名乗っていました) 新沼さんは普段、韓国料理は食べませんか。そうですか。私はしょっちゅうこの街に来るんです。何でかと言いますと、ご飯が美味しいのはもちろんのこと、人が生き生きしているからです。見て下さい、彼らの表情。私たちの知っているそれと全然違うでしょう。彼らは自分の国を出て、異国の言葉と文化を勉強しに日本に来ています。この国のいまどきの若者と全然違います。来年は日韓でワールドカップを開催しますが、そこでの成績も韓国のほうが上回るでしょう。選手の技術もさることながら、応援する人々の熱意が段違いです。残念ながら日本はあと数年のうちに、韓国に追い抜かれるでしょう」

この売国奴め、ヌカしているのはおまえのほうだ。日本が韓国に遅れを取るなんて、そんな日が来るわけないだろう。アカの母親にしてこの息子ありだなと、内心ムカムカしました。私は苦いビールをぐいぐいと呷るうちに、自分の職務も忘れて酔っ払ってしまった。

いえ、保険業界で働いているとか、自分の仕事に関しては適当なウソをついたはずです。

それよりなぜでしょうか。さっきまで向かっ腹を立てていたはずなのに、鬱憤というかそれまで蓄積してきたストレスを、会ったばかりのSに洗いざらいぶちまけていました。

「物心がついた頃から母親に競争を強いられてきました。『お父さんを見習いなさい』『どうしてお兄ちゃんのようにできないの』。私はろくに頭を撫でてもらえず育てられた。常に自信を持てないまま図体ばかり大きくなって、今に至っている。自慢じゃありませんがね、私は生まれてこの方女性と付き合ったことがないんです。なんだか誰かに愛されるなんて、そんな資格ない。そう思ってひとりぼっちできました。私をね、こんな風にしたのは母親なんです。今になって、老いさらばえたから優しくしろなんて言われてもね、私にはできませんよ」

Sは少し赤ら顔でしたが、深く頷いてくれました。

「お気持ちを察します。私と弟も、子供の頃から母親のヒステリックな性格に振り回されてきました。女手ひとつで育ててくれたことにもちろん感謝はしていますが、もう少し良識があるというか、まともな人だったら良かったのになあと、子供の頃から思っていましたし、今も思います。きょうも思いました」

Sの笑い声に、私は慰められるような気がしました。

「お互い大変ですな。あーあのクソババア、早くくたばってくれたらいいのに……!」

マッコリの入った器をテーブルに叩きつけます。それでもSは長年の友人のように、私を穏やかな目で見守っていました。

「でもね新沼さん、私の母は、私と弟のために、私の知らないところで何かを犠牲にしたこともあったと思うのです。本当はもっと運動をやりかったかもしれない。しかし息子たちに害が及ぶことを恐れて、信念を貫けないことも多々あったと思う。でもそうしたことを噯気(おくび)にも出さず、わざと偽悪的に振る舞ったりする。本当は、いい人なんだと思います」

「いい人なのはあなたのほうですよ」

Sと私はお互い母親の愚痴を零し合いましたが、大きく違うのは、愛情があるのとないのとの差でした。Sは続けます。