水道橋博士がついに「ビートたけし正伝」を書く日

芸能界について書くということ【後編】
水道橋博士, 田崎健太

田崎 そうなんですよ。テレビの世界とは、またちょっと違った人間関係なんですよね。担当者も現場に来て、その場で「このコメントのこの部分は絶対使いたいよね」とか話すのが楽しい。

あとは地味な喜びですけど、資料を探していて「これだ!あの発言の裏が取れる資料が、ようやく見つかった!」ってときも嬉しいじゃないですか。何とも言えない達成感というか。

博士 そこはそれ、ボクは大宅壮一文庫(註・東京都世田谷区にある雑誌専門の書庫)のクラウドファンディングに一番乗りで最高額の会員にもなってるから、わかりますよ。もし大宅文庫に閉じ込められたとしても、10年ぐらいは出なくて平気だと思う(笑)。

 

博士が「病」を告白した理由

田崎 ところで、今回『藝人春秋2』で一番驚いたのが、最後の章で博士さんが「病」を告白したことでした。あれって、書くことを躊躇しませんでしたか? それとも最初から、あの告白を最終章に持ってこようと思っていたんですか?

〈番組を見終えると、ボクはコールタールのような、どんよりとした脳に無理やり指令を送り、鉛のように重い体を起こして、なんとか身支度を整えた。

サングラスを掛け、マスクで口を覆い、ニット帽を深くかぶると、20年近く身の回りの世話をしてくれているスズキ秘書に連れられて、いつもの病院へと向かった〉(下巻エピローグ「芝浜」より)

博士 『藝人春秋2』のもとになる連載を「週刊文春」で始めた時、前作の『藝人春秋』を越えるものを書きたい、作家として殻を破って成長したい、と思っていたんですよ。もとはと言えば、(書評家の)杉江松恋さんが『藝人春秋』を書評してくださった時に、激賞してくださったけど、不満点として「旬のネタがない」って書いていたんですよね。それを読んで、「よし、じゃあ次は新しいネタを満載にしてやる」と思ったのが連載のきっかけだったんです。

で、自分の中でもなるべくハードルを上げたいと思ったから、『藝人春秋2』の最終章は、最初は亡くなった百瀬博教さんで書くつもりだったのね。

田崎 「PRIDEの怪人」と呼ばれた百瀬さん!博士は一時期百瀬さんの付き人のようなことをやっていた時代があるんですよね。彼も豪放磊落かつ謎多き人です。それはそれで読んでみたかった。

博士 それで、途中まで書いたんだけど、やっぱりまだ取材が足りていなくて、ちょうどそのとき、泰葉さんから「立川談志師匠が亡くなる直前に、師匠のマンションに呼ばれて、2人きりで『芝浜』を聞かせてもらったの」って話を聞いて、すごく感動したんですよ。それで泰葉さんは当時、病から抜け出そうとひとりで藻掻いていたのに、芸能界でも侮蔑されていて、本当に気の毒だったんだ。そこを自分の話と共に書けば、自分自身のこともさらけ出すことができるかもな、と思ったんです。

田崎 〈保険適応がない、超高額の治療法を毎日、毎日、続けながら、貯金が急速に目減りし、家族を背負う将来の光が遠のいていく感覚は、未来への恐怖となって大きくのしかかった〉と、赤裸々に綴っている。読んでいるこちらもつらくなります。

博士 そこでも触れたけど、いっとき、ボクはものが書けなくなってしまった。でも、そのドン底から立ち直るための方法も、やっぱり「書くこと」だったんですよ。ボクは、書くことによって治癒され、立ち直った。なにかを書いて、誰かとつながることで、あの地獄の苦しみから抜け出せた。それが「書くこと」の意味であることがわかった。

いまは、病気は寛解しています。ボクは芸人なんだから、書くことによってすべてをさらけ出そうと思ったんです。自分の醜態や恥部を「晒す」ことで誰かを「照らす」役割になるんだから。

田崎 なるほど……。最後は自分をさらけ出すことで、この作品のノンフィクションとしての強度を上げた、ということかもしれませんね。

博士 やっぱりボクの書くものは全部繋がっていると思っているし、そういうエピソード同士の関係性まで、読者には楽しんでほしいと思ってるんです。