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月収最高1億8000万円「ストリップの帝王」の数奇な生涯

すべてを明かした

「ストリップの帝王と呼ばれる人がいるんですけど、知ってますか?」

とあるストリッパーからそんなことを言われたのは、今から8年ほど前のことだ。ストリップの帝王なる肩書きに興味を持った私は、ぜひとも会ってみたいと思った。

長野県諏訪市にある諏訪フランス座という劇場を経営しているという。帝王という呼称からして、東京や名古屋、大阪といった大都市の劇場を切り盛りしているのかと思ったが、長野県の諏訪という、歓楽街のイメージが無い街にいるという。

それが、この人物の得体の知れなさを物語っているような気がして、俄然取材意欲が湧いた。

八木澤氏が「ストリップの帝王」を追った一冊

凋落著しい劇場で

当時、私は斜陽というよりは、落日寸前の芸能であるストリップの取材をするため、全国のストリップ劇場を訪ね歩いていた。ストリップに関わったのは、横浜黄金町の黄金劇場に足を運んだことがきっかけだった。

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横浜黄金町は、2005年に摘発で消えるまでは全国に知られた売春地帯で、250軒もの「ちょんの間」が存在していた。そこで春を売っていたのは、主に東南アジアや南米から来た娼婦たちだった。彼女たちの取材をしていくうちに、ちょんの間が建ち並ぶ通りから大岡川を挟んで対岸に、看板はあるものの、照明は灯ることがなく、やっているのか潰れているのかもわからないストリップ劇場があることに気づいた。

取材の許可をもらうために初めて黄金劇場に足を運ぶと、前掛けをしたひとりの女性が出迎えてくれた。劇場主で元ストリッパーの島根ママだった。

それから頻繁に足を運ぶようになったが、観音開きのトビラを開けると、毎度の島根の威勢の良さとは裏腹に、ステージのまわりには指で数えられるほどの客しかおらず、裏びれた空気に包まれていた。

じめじめとしたコンクリートの床から生えてきたような椅子に私も腰を下ろし、舞台を眺めた。改めて劇場の中を見回すと、客の数は5人。果たして経営を続けていけるのか、部外者の私が余計な心配をしたくなる客の入りだった。

 

島根はすぐに私のことを信用してくれて、楽屋から劇場内まで好きに取材していいと言ってくれた。

劇場の2階にある楽屋では、年配の踊り子たちの姿が目立った。若い踊り子たちは、ギャラも高く、黄金劇場の客の入りではギャラを払うことができず、呼ぶことができないのだった。必然的に顔ぶれは代わり映えしないようになり、新規の客は見込めず、常連の客たちだけで、劇場の経営は低空飛行を続けているのだった。

場末の劇場ではあったが、黄金劇場を取り巻く人間模様は私を引きつけ、ストリップの取材を続けるきっかけとなったのだった。