富岡八幡・宮司殺人事件の背景にある「神社崩壊」という大問題

実際に神社をあるいて考えた
昨年12月7日、東京都江東区の富岡八幡宮で、元宮司の弟が、宮司である姉を日本刀で刺殺、翌日、自らも自殺するという事件が起きた。富岡八幡宮は、江戸時代より隆盛を極め、経営難が一般的な神社界の中では例外的に飛びぬけた財産と収入を誇っている。結局は、カネとそれを自由にできる地位をめぐっての怨恨とみられるが、6月に宮司人事を左右してきた神社本庁から離脱したことが直接の引き金になったという。そして、姉弟の祖父こそが、その神社本庁を頂点とする戦後神社界の再編を果たした人物の1人だった。神社間の極端な経済格差、有力神社の相次ぐ神社本庁離脱。事件の向こう側に見えてくる「神社」界の崩壊を、宗教研究の第一人者が探ってみる。

境内に事件の背景が見える

クリスマスに訪れた富岡八幡宮は、好天に恵まれたにもかかわらず、参拝者はまばらだった。普段、ここを訪れたことがないので比較はできないが、あの事件以降、参拝者が激減していることは間違いないだろう。

宮司が殺された現場には、まだ警察が入っている。それを除けば、すっかり平穏を取り戻しているようにも見えるのだが、果たしてこれから参拝者は戻ってくるのだろうか。初詣の準備は続けられていたが、神社の関係者には大きな不安があるはずだ。

実際に富岡八幡宮を訪れてみると、凄惨な事件が起こる背景が見えてくる。この神社がいかに多くの金を集めてきたのかが、境内を歩いてみただけでも、手に取るように分かるのだ。

撮影・著者

まず、大鳥居をくぐって境内に入ると、右手には「大関力士碑」があって、参道をはさんで反対側には神輿庫がある。そこは硝子越しに2基の神輿を見られるようになっている。手前にあるのは一の宮神輿で、「日本一の黄金神輿」と呼ばれるものである。

重さは4.5トンもあるため、納められた時点で一度しか担がれていない。屋根には純金が24キログラム使われ、その上に立つ鳳凰の胸には7カラットのダイヤモンドが輝く。鳳凰の鶏冠にも2010個ものルビーが用いられている。制作されたのは1991年で、寄進者は佐川急便の会長とされるが、いかにもバブルの時代の産物である。

 

その隣には、それよりも小ぶりな二の宮神輿が展示されている。こちらも金色に輝き、鳳凰の目には2.5カラットのダイヤモンドが据えつけられている。こちらは2トンで、実際に祭の際には担ぎ出されている。

これこそが富岡八幡宮の豊かさの象徴だが、2016年に大改修された手水舎は、参拝者が近づくと、金メッキを施された鳳凰から水が出るようになっている。

その改修費用を寄進した人たちの名前と金額が金属板として掲示されているが、7人の総代がそれぞれ10万円を出したほか、神輿総代連合会が500万円を寄進し、以下、200万、100万、50万といった具合に高額の寄進者の名前が続く。もっとも多い金一封は1万円だろうが、そこには何百人もの名前が刻まれている。

境内をまわってみると、例大祭のときの寄進者や、本殿の復興などの際に寄進した人々の名前がやはり金額とともに掲げられている。犯行現場の手前には、富岡八幡宮が建てられる前からあったとされる七渡神社という小祠があるが、社殿は1000万円で寄進されたと記されている。

その脇の池には錦鯉が泳ぐが、犯人となった元宮司は、100万円もする鯉がいると自慢していたらしい。そうした錦鯉の寄進者も掲示されており、そのなかには、日本相撲協会や横綱の名前もある。

境内の奥には、実に立派な「横綱力士碑」があり、ここは江戸勧進相撲発祥の地ともされている。日本相撲協会が、横綱による暴行問題で揺れている最中に、富岡八幡宮で事件が起こったわけだが、何とも皮肉なことである。

今、地方の神社は経営難に苦しんでいるとされるが、富岡八幡宮はこれまでそうしたこととは無縁で、莫大な金が流れ込む、稀に見る裕福な神社だったのである。