クリスマスに欧米の同性愛者が「ひどい鬱」に陥る事情

カミングアウトの本質とは何か
砂川 秀樹 プロフィール

誰と人生を歩んでいるのか

お正月の話に戻ろう。

元旦の日を家族で過ごすという迎え方も少なくなりつつあるかもしれないが、そんな場を象徴として想像して欲しい。

大学卒業を機に、福岡から東京に出てもう10年になる長男。家族の仲はよく、実家を離れた子どもたち、長男、次男、次男の妻と幼子は、年末年始はほとんど帰ってくる。長男は元旦の夜までは家でゆっくり家族と過ごす。

「兄ちゃん、クリスマスはどう過ごしてた? 相変わらず彼女はいないの?」と弟が聞き、「仕事が忙しくてそれどころじゃないの」と答える兄。

「いつも仕事ばかりしてるけど、体は大丈夫? 外食ばかりだと健康に悪いよ。」と、弟の嫁が気遣う。

「一人暮らし、寂しくないの?」と母親も心配する。

「全然平気だよ、友達もいるし」
「友達は多いよね。どうやって知り合うの?」
「いや、まぁ、いろいろ」

 

これは、ある友人の話を、少し状況を変えて記したものだ。こんな風に一度に展開することは少ないとしても、一つひとつのやりとりは、決して珍しい会話ではない。

その友人には、8年同棲している15歳年上のパートナーがおり、クリスマスには、そのパートナーと旅行に行き楽しい時間を過ごした。そして、毎晩のように料理上手のパートナーが夕飯をつくってくれる。

とても幸せな生活を送っているが、その話を、仲のいい家族にはしていない。

〔PHOTO〕iStock

また、その前の年には、パートナーの病気が師走にわかり、年明けに手術を受けなければならなくなったことがあった。

そのときは、帰省するのを止めようかと思ったが、パートナーに強く押されて、いつもより短い滞在ながら、帰った。

そのときは、不安がずっと頭にあったが、当然、そのことを隠して家族と過ごした。

性的指向を、セックスの話と思う人がいるが、異性愛がそうであるように、それだけに話はとどまらない。誰と時間を共有しているのか、誰と生活をともにし、誰と人生を歩んでいるのか、そういうことにも及ぶ。

もちろん、異性愛者もそのすべてをいうわけではないが、大切な、誰と人生を歩んでいるかは、親しい人には知って欲しいと思うものではないだろうか。