クリスマスに欧米の同性愛者が「ひどい鬱」に陥る事情

カミングアウトの本質とは何か
砂川 秀樹 プロフィール

カミングアウトする/しない理由

こうした、誤解に基づいて扱われることへの違和感を、私は出身地で表現したりする。

もし、自分が北海道出身なのに、ひょんなことから周りの人たちに沖縄出身と誤解され、その前提で話かけられ続けたとしたら、「いや自分は北海道出身なんですけど」と言いたくなるものではないだろうか。

ゲイ/レズビアンが、カミングアウトをするのは、本来そういうことのはずだ。異性愛者であることが当然とされ、自分もそう見られている中、「いや、私は違うんです」と誤解を解くということにすぎない。

しかし、日本の中では、カミングアウトするゲイ/レズビアンが少ない上に、したくないと思っている人も多い。

それには理由がある。

 

それは、カミングアウトした後に、嫌な対応を受けたり、仕事に影響受けたり、いじめを受けたりなどネガティブな結果が生じる恐れがあること、また、ゲイやレズビアンであるという点ばかりが強調して見られるようになる可能性があること、周りが持っているゲイやレズビアンに対する誤解を自分に投影されること、自分の意図しない人にまで伝わってしまうこと、これまで異性愛者と思われてきて、その前提で関係が築かれてきたので、その関係が変わることへのおそれ、などである。

とはいえ、カミングアウトをしない当事者は、その理由を説明するときに、「する必要がないから」という表現を使うことが多い。

しかし、私は、異性愛の人が自分の性的指向を語り、ゲイ/レズビアンの人も異性愛者と誤解される中、「必要がある/ない」、あるいは「するべき/べきではない」という言葉は、カミングアウトを考えるのにそぐわない行為だと思う。

考えるべきことは、それぞれにとっての、カミングアウトをする意味、しない意味だ。

私は、2007年に、友人のRYOJIさんと『カミングアウト・レターズ』という本を編集した。その本には、ゲイやレズビアンの息子/娘がお母さんへ、または、生徒が先生へ、自分がゲイやレズビアンであることをカミングアウトしたときのことを振り返りながら手紙を書き、その返事をもらった往復書簡が収められている。

その中に収められた手紙の一つ、昌志さんが、お母さんにカミングアウトしたときのことを振り返り書いた手紙は、そのときの苦しい思いと親を思う気持ちが真摯に現れていて胸を打つ。昌志さんは、レストランでお母さんにカミングアウトをするときの迷いをこう書いている。

「(略)俺はまた悲しませるのかとほんま苦しくなったよ。でも、引き下がるわけにはいかんかった。それまでの二十年みたいに、俺がゲイやってことを知られたくないって理由だけで、俺なりに幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる人生を続けるのは嫌やったから。俺が、母さんと父さんに完璧に嘘をついて生きていけるほど、器用やない限り。」

ここに書かれている「ゲイやってことを知られたくない」と、そのことを伝えずにいると、「幸せなこと/悲しいこと/嬉しいことも分けあえず生きる人生」を送ることになるということが、カミングアウトの本質を語っていると思う。