クリスマスに欧米の同性愛者が「ひどい鬱」に陥る事情

カミングアウトの本質とは何か
砂川 秀樹 プロフィール

語られる異性愛者であること

異性愛の人はなかなか気づかないようだが、会社や学校に通い、友人や家族とのやりとりが日常的にあるなど、人との交流が多くあるような生活をしている場合、たいてい毎日、誰かが自分が異性愛者であることを言っている言葉耳にしている。

もしテレビなどのメディアで語られている内容も含めれば、ないという日はない。

もちろん、その際に「異性愛者」という言葉が使われているわけではない。ほとんどの異性愛者は、社会の中で多数者であって自分が何者かと考えないで済むため、「異性愛者」という自己意識を持たないからだ。

しかし、「彼女」や「彼氏」あるいは「夫」や「妻」の話、結婚している話、したいという話(日本では結婚は異性間でしかできない)、好きなタイプの「異性」の話、ときに、とても親しい人の間では性経験の話や相談をする中で、自分が、異性愛という性的指向を持っていることを言っている。

あるいは、そこまで明示しなくとも、暗に示す言葉が聞かれることもある。

 

例えば、男性が、取引先のための接待の企画を練る中で、「やっぱり男性は、その場にきれいな女性がいたほうが嬉しいですよ」と「コンパニオン」的な女性を入れることを提案するとき。

またあるいは、広告に使うビジュアルについて検討しているときに、女性が「こういう男性の仕草に惹かれるもんですよ、女性は」と言うとき。

そのような言葉には、自分が異性を恋愛対象としていて、そういう人たちの気持ちを代弁しているという意味が含まれている。

誤解のないように強調しておきたいのだが、ここでは、そうやって異性愛者が異性愛者であることを表現するのが悪いと言っているのではない。

ただ、いかに日常生活で、異性愛者がなんらかの形で自分の性的指向を語っているかということに気づいて欲しいだけだ。

非常に厄介なのは、ゲイ/レズビアンであっても、自分がそうであると言わなければ、周りから異性愛者であるという誤解に基づいて扱われるということだ(そして、多くのゲイ/レズビアンも異性愛者のふりをして生活している)。