日本を「命の格差を軽視する国」にしないために言っておきたいこと

メディアと社会への要請
近藤 尚己 プロフィール

「格差」や「貧困」についての報道にも残念なものが多い。

「格差」は読者の好奇心を満たす週刊誌やワイドショーの格好のテーマだ。典型的には、港区のような、ずば抜けた高所得エリアと所得の低いエリアとを比較し、後者をあげつらうような記事である。あげつらうのに都合のよい住民インタビューの言葉をちりばめ「だから○○区は不健康なのだ」と、印象操作をするのである。これでは芸能人の不倫ニュースやポルノと同列である。つまり、読者の好奇心、もっと言えば「のぞき見根性」を刺激するために、特定の地域や個人をモノ扱いして使い捨てにするような記事である。このような記事に倫理的な問題はないか。

このような情報に接すれば、読者は報道された人たちや地域に対して偏見を持ちこそすれ、その人たちが抱える社会的困難を深く理解しようとはしないだろう。格差の話題をポルノ化してはならない。

たったひとつの見出しでも

新書『健康格差』の刊行に合わせ、週刊誌「週刊現代」も関連記事を掲載した。記事の見出しは、黒塗りの背景に太ゴシックで書かれた、ルポ「東京23区健康格差地帯を歩く」というおどろおどろしいもので、取材を受けた一人として、正直面食らった。

その横には、「平均寿命一位は杉並区、ワーストは荒川区」等とランキング結果が紹介されている(現代ビジネスへの再掲の際には見出しが変わり、おどろおどろしさは薄らいでいる)。ただ、記事の内容自体は、好ましい部分も多い。

不健康は社会構造や制度によるところが大きく、自己責任だけで片付けられるものではないことを明確に伝えてくれている。とはいえ、そこを理解するためには最後まで読んでもらわなくてはならない。読者の印象は見出しで決まる。

メディア報道がきっかけとなってせっかくの良い取り組みがとん挫する懸念もある。

おそらく今、国内で最も先進的に健康格差の是正戦略を展開している足立区では、週刊現代の記事出版直後に、「こんな記事が出ているけど、大丈夫か」「どのようないきさつでこのような記事が出されたのか」「担当者の対応が不十分だったのではないか」との問い合わせが担当課へ相次いだという話を担当者自身から聞いた。

また、記事のコメント欄には区や区民を中傷するような書き込みがあり、それを見た担当者は、「担当者としてこの見出しによって区民が貶められたと感じ、自分が健康格差に言及して事業を実施したからかと後悔の念に苛まれた」と打ち明けてくれた。

先進的なことをすれば、当然反論もでる。たまの苦情も職員は当然覚悟している。しかし、これまでの取り組みが台無しになるのだけは避けねばならない。

足立区では、長年の協議や調整の末、昨年は区内小学生の生活困窮や健康の実態を明らかにした「子どもの健康・生活実態調査」の結果を公表した。これを根拠に、区一丸となって子どもの健康格差の是正に取り組もうとしている。

メディア報道がきっかけで活動がとん挫すれば、区の対策によりこれから救われるはずの子どもや大人たちが救われなくなる。それは足立区民だけでなく、格差の影響を受ける国民すべてにとって多大な損失となろう。

以上より、新聞や週刊誌など各メディアには、見出しが多くの人に誤解や混乱を与え、それが個人を傷つけ、差別を煽り、命を奪いかねないことをより深く認識してほしい。

「しくみ」をどう作るか

さて、これまでメディアの報道姿勢の問題を取り上げてきたが、メディアだけではなく、小売業、広告業、飲食店、建設業、サービス業など、あらゆる企業や組織が人々の健康にかかわってくる。それが、世界保健機関が「すべての政策に健康の概念を health in all policies」と呼びかける理由である。

健康格差へ立ち向かうためには、こういったプレーヤー同士が連携し、それぞれが担える役割を考え、行動する必要がある。たとえば、社会的課題への投資を促し、効果を客観的に評価していくことで資本を循環させる社会的インパクト投資(social impact bond)が日本でも普及し始めている。社会的な活動に資金が循環することで企業や財団が積極的に関与できるしくみであり、注目している。

健康格差の報道を改善させるためのしくみも考えられる。各メディアが、おのずと誤解を生まない「役に立つ健康記事」を書きたくなる、またそのスキルが上昇するようなしくみである。