「夫の後始末」を終えた曽野綾子さんが「自分の後始末」を語った

その日は、誰にでもやってくる
週刊現代 プロフィール

人生の「後始末」を考える

「次は、『疲れ』について書いてみたいんです。こんなに疲れたのは、人生で初めてだったものですから」

2月に三浦氏が亡くなった直後、曽野氏は月刊誌の連載で、滅多にしたことのない休載をした。現在抱えている連載は、これから徐々に減らしていくつもりだという。

「最近は、出かけることもめっきり減りましたし、好きなことを書いていても、どっと疲れが出るようになりました。とにかく、何十年分の疲れというものが」

それでも仕事場の机上には、原稿や校正用のゲラが積まれている。

あえて聞いてみた。長い時間を共に過ごした夫を見送ったいま、自らの人生の「後始末」をどう考えているのか――。

 

「これからは『散逸(さんいつ)』させていきたいんです。つまり、自分の持っているものをどんどん手放していきたい。たまたま縁があった母校の聖心女子学院に少しだけ寄付をして、残った自著は、燃えるゴミに出して欲しい。

何かを残そうという気持ちはありません。残るのは『神の仕事』だけと思っているんです。私はそんな『神の仕事』の記録者になりたいと思っています。

自分なりに『これが書きたい』というテーマを決めて書いた小説はいくつかありますけれど、作品が後世に残るかどうかは、作家ではなく読者が決めることですから。私の書いてきたものは、基本的に、楽しいから書いてきた『道楽』なんです。

道楽って、素敵な言葉でしょう。ですから、(文学)記念館や、まして記念碑なんてごめんです。野良犬がおしっこをしたり、観光客のおばさんが腰かけて、お弁当を食べたりするにはいいと思いますけどね」

人の仕事には、自ら努力して選ぶ“Profession”と、神が与える“Vocation”、つまり「天職」の二種類がある。長年変わらない、曽野氏の人生観だ。

「ずっと好きなことを書かせていただいてきた私にとって、作家は天職。疲れはいずれ取れるでしょうから、最後まで書いていたい。もっとも死ぬ直前に、また何か新しい“Vocation”を授かるかもしれませんけどね」

【取材・文/伊藤達也、写真/永田忠彦】

「週刊現代」2017年12月16日号より