「夫の後始末」を終えた曽野綾子さんが「自分の後始末」を語った

その日は、誰にでもやってくる
週刊現代 プロフィール

「一緒にいない」夫婦の63年間

「私、夫婦は違っていていっこうに構わないと思うんです」

2人の結婚は1953年。三浦氏が小説を掲載していた同人雑誌『新思潮』に、曽野氏が参加したことがきっかけだった。初めて会ったのは新宿駅ホームのゴミ箱の前。以後、およそ63年を共に過ごした。

 

2011年、結婚60年を目前にした夫婦インタビューで、三浦氏はこう話している。

「よく辛抱してくれたと思いますよ。私もよく辛抱したと思うけど(笑)」

一方の曽野氏は、夫婦円満の秘訣をこう話した。

「なるべく一緒にいないようにすることです(笑)。それぞれが好きな場所や好きなものを持っていて、できるだけそれをお互いに尊重すること」

2011年に「週刊現代」の取材で

作家同士の結婚生活には、程よい距離があった。たまの休暇には、ダットサンを2人で交代して運転し、遠出を楽しんだ。

「まだ東名高速もない時代に、名古屋まで車で行ったこともあります。東海道の松の並木道を、のろのろと。箱根の坂が凍って大変でしたよ。あの頃は、今のように休む場所もありませんでしたから」

1964年、「小説現代」の取材で完成から5年の東京タワーを訪れた

執筆の傍ら、三浦氏は1985年から文化庁長官、2004年からは日本芸術院院長を務め、曽野氏は1995年から2005年まで日本財団会長を務めた。夫婦が一緒にいる時間は、自然と少なくなった。

しかし、三浦氏はそんな時も、「妻が出かけてくれたら、普段は食べられないものが食べられる。よくぞ行ってくれた」と、デパ地下でごちそうを仕入れるのを楽しみにしていたという。

「朱門は、私が海外に行くと言っても『僕は行かない』と言うんですよ。モンゴルやインドなんて絶対行かない。本屋がないところには行きたくないんです。

彼はとにかく本が好きで、昨年の11月まで、毎日歩いて本屋に行き、1冊本を買って帰ってきていました。これといった趣味はなく、麻雀にもお酒にも興味がない人でしたが、その日課は楽しみにしていました」

三浦氏に物忘れが出始めてからは、曽野氏が心配して、

「お父さん、本を万引きしてきたんじゃないの? おカネを払わないと捕まるわよ」

と聞くと、

「いや、払ってきたよ」

と、金額がいくらでお釣りがこうで、と細かく答えたという。

「そんなおかしな会話がしばらく続きました。毎日タバコを買うよりは、いい道楽ですよね」

若い頃、夫婦で旅したメキシコの田舎町で買った1枚の絵が、今も三浦氏の遺影の近くに掛けられている(1ページ目下段の写真中央の絵)。

「路傍の絵描きから買ったんです。朱門は『荷物になる』と言っていやがったけれど、『私たちがここで買わなかったら、この絵描きは絵の具も買えないかもしれない』と言って。その時の私は、きっと2人で長旅をした記念がほしかったのでしょうね」