世界的権威も見逃している「AI社会のある重大な課題」

「AI社会」をめぐる4つの考察(後編)
寺田 悠馬 プロフィール

ここに、アメリカの首都に本拠地を置く研究機関の呼びかけに応じ、円卓を囲んだ25人の男女に配布された、一つのグラフがある。

経済学者の論文から一般紙に転載されたこのグラフは、1980年代を境に、アメリカにおける「生産性」と「賃金」の相関性が低下したことを示している。「生産性」や「賃金」の詳細な定義は取り敢えず問わずにおき、社会全体における富の増加が、労働者の収入の増加に繋がりにくくなったのだと、大まかに理解しても差し支えまい。

今後、労働に代わって富を生むのが機械だとすれば、人工知能の進化に伴い、グラフに現れる乖離はますます拡大するのではないかという問いが、円卓を囲む男女に向かって、投げかけられる。

そうした中、人工知能にまつわる紋切り型の物語は、個々の職業が何年までに機械に代替されると叫び、職を失いたくなければ、ロボットには決して真似できない人間的な価値を追求せよと、脅迫してくるだろう。

だが我々は、ここで「人工知能」の問題と、「富の再分配」の問題とが、混同されていることに苛立ちを覚えずにはいられない。機械の進化によって富が加速的に増加する一方で、労働者の賃金が一向に増えないのは、機械、すなわち資本財を保有しているのが、少数の資本家であるからに過ぎない。

つまり、このグラフから即座に読み取れるのは、人工知能の脅威ではなく、富の再分配という課題である。

人工知能の進化という現象が、人類にとっていったい何を意味するのか、その根源的な問いに思考を導きたい我々は、それ自体決して容易ではないものの、多くの国で既に議論されている富の再分配という課題が、聡明な専門家によって解決された後の社会を想像したい。

現在でも一部の産油国がそうであるように、そのような社会では、労働の対価として支払われる「賃金」ではなく、労働とは断絶された再分配の仕組みによって、衣食住が保証されるだろう。人工知能の進化によって「生産性」が向上し、蓄積された富が効果的に再分配される一方で、労働は、生産要素としての価値を失うのだ。

このような社会に想像を巡らせる時、我々は初めて、「人工知能」の問題から、「富の再分配」の問題を切り離すことができる。その時視界に浮上してくるのは、決して紋切り型の物語が叫ぶ「失業」の問題ではなく、「自由時間の過剰供給」という問題に他ならない。

物語の供給源であるはずの労働を失った我々は、だからと言って何も考えず、何もしないことなどできるはずもなく、今や潤沢に供給される時間と、無防備に対峙することになるからだ。