小沢健二が姿を消した「19年間の空白」を解き明かす

稀代のトリックスターの思索と実践の旅
現代ビジネス編集部 プロフィール

――それぞれどういう期間だったんでしょうか。

「最もミステリアスなのは『Eclectic期』ですね。小沢健二に関して、いろんな都市伝説のようなものがあった時期です。当時のスポーツ新聞では『モータウンと契約した』なんてニュースがデカデカと載ったけれど、結局のところ今も真偽はわからない。

本にも書いたんですけれど、何故かJAY-Zと一緒に日本に来てたようなこともあった。一方、その数年後には映画『おばさんたちが案内する未来の世界』にもその一部が収められていたように、ベネズエラやボリビアで反米デモに参加していた。

日本のポップ・ミュージシャンがやっていることとしては、まったくわけがわからないわけじゃないですか。でも、そのわけのわからなさには『男の子の夢』みたいなところがあって。それがこの本を書く動機の一つにもなっているんですよね」

――男の子の夢? どういうことでしょうか?

「まるでマーク・トウェインの冒険小説、『ハックルベリー・フィンの冒険』みたいな感じじゃないですか。

94年の『LIFE』のヒットによって、小沢健二は決定的に『女の子のもの』になっちゃったんですよ。リアルタイムで体験してないとこの感覚はわかりにくいかもしれないけれど、当時のライブの客層は女の子が中心で、スポンジの鼻をつけてみんなで『ドアノックダンス』を踊るみたいな、成人男子が恥ずかしくてそこに居られないくらいの空間だったんです。

でも、ニューヨークに行ってからの小沢健二って、男の子が羽を広げてとにかく好き放題やってる感じで。漏れ伝わってくる断片的な情報のひとつひとつに、同世代の男として純粋にわくわくする気持ちがあったんです」

小沢健二の音楽家としての凄み

――『Eclectic』というアルバムは、当時よりも今の若い人たちのほうがすんなりと名盤として受け入れられるのではないかと思います。おそらくそれはあのアルバムに影響を受けたceroというバンドがいるからだと思うんですが、そのあたりはどうでしょう?

「そうかもしれませんね。僕自身は当時も大傑作だと思ったし、今でも小沢健二のアルバムで一番好きなのが『Eclectic』です。ただ、出たばかりの頃はなかなかその興奮を共有してくれる人が少なくて、時間と共に評価されるようになっていった。

まあ、フルアルバムとしては『LIFE』の次があれですからね(笑)。その温度差たるやすごかった。だけど、やっぱりそこが小沢健二というミュージシャンの面白いところなんですよね。おそらく彼にとって、あのアルバムは勝算があって作ったものではないと思うんです」

 

――そこも『LIFE』とは違っていた。

「『LIFE』はまさに勝算があった作品なんですね。売れるために作ったわけではないけれど、売れるものを作ってしまった実感があった。で、実際に売れたし、売れただけじゃなく、今では多くのメディアによって90年代を代表する名アルバムとしての評価も確立している。

小沢健二自身も、『小沢健二の帰還』でも引用した『「みなさん」の話は禁句』という岡崎京子さんの展覧会のための本に書いた文章で『偉そうかもしれないけど『LIFE』が出たら、かなり良くない意味も含めて大変なことになるのは、録音中からわかっていた』と書いている。

それとは対照的に、『Eclectic』はニューヨークやマイアミのスタジオに一流ミュージシャンを集めて、音楽的にやりたいことを闇雲に追求していった作品だったと思うんです。

当時の電話インタヴューで『これをみんながどう感じるのかは全然わからない』って言っていたのは本音だと思います。

それでも、『LIFE』とはまた違った意味で、リリースされてから15年以上経っても新鮮さを失わない音楽を作ってしまうのは、小沢健二の音楽家としての凄みとしか言いようがない」