「遺伝か環境か」不毛な議論に終止符〜なぜその努力は報われないのか

よくある4つの誤解を解く
安藤 寿康 プロフィール

人間の場合もこのような現象は確認されていて、これがあると遺伝子をすべて共有する一卵性双生児は類似しているが、遺伝子の組み合わせの異なる二卵性双生児やきょうだい、そして親子ではそれほど似ないというパターンになる。

人間の心理形質には多数の遺伝子が関与しているから、このような現象が起こることは不思議ではなく、実際、統合失調症などの精神疾患、脳波のスペクトラムにはしばしばこのようなパターンが見られ、パーソナリティにもその傾向がある。

これを「家系に伝わらない遺伝」「遺伝しない遺伝」とレトリカルに呼ぶことがあるが、要するに複数の遺伝子が両親からランダムに半分ずつ子どもに伝わり、新たな組み合わせ(遺伝子型)を生むことから生ずる現象である。

伝わるのは「遺伝子」であり表現型ではない。遺伝とは確かに形質の相対的な類似性を生む仕組みでもあるが、それとは反対に、親とは異なる、それどころかゲノム全体でみればこの世の誰とも異なる全く新たな個性的組み合わせを生む仕組みでもある。

「蛙の子は蛙」と「とんびが鷹を産む」はどちらも遺伝子が生み出す現象なのである。

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「遺伝か環境か」の注意点

第二のビリギャル説、つまり環境の変化や努力によって人は変わるのだから、遺伝は関係ないという反論を再反論する理論とエビデンスもたくさんある。

まず遺伝の影響があるからといって環境の影響がないといっているのではない。むしろ遺伝が100%でないことを明らかにしているのも行動遺伝学である。遺伝子がすべて等しい一卵性双生児も決して同じにはならないのがその最たる証拠だ。

「遺伝か、それとも環境か」という議論は、実際は「遺伝と環境の両方か、それとももっぱら環境だけか」という議論であることに注意してほしい。

 

行動遺伝学の知見は、ともすれば「もっぱら環境」と考えたがる人に対して、遺伝も同じくらいありますよと伝えているに過ぎない。

ここで遺伝とは「学習しないでも知っている・できる」という本能のような意味でいっているのではなく、学習して習得される能力の個人差に遺伝的な差があるという意味である。

あることについて学習したことがなく、そのためにできない・知らない人にとっては、ひとたび学習をするきっかけを得れば、知識を習得するために費やした努力の効果は絶大だ。それが「ビリギャル」である。