時計は、実は非常識の塊だった

文字盤からして不思議なことだらけ
織田 一朗 プロフィール

実は、最初に日時計が使われた時代に時計をつくる文明をもっていた民族は、すべて北半球で生活していたからだったのだ。文明が進み各地で時計の製造は始まったが、その段階で南半球の人々は、改めて「時計の針を左回りにしよう」と主張することもなく、北半球で完成された文字盤をそのまま受け入れたのだ。

その結果、スイスでつくられた時計も、日本でつくられた時計もすべて右に回るので、海外で製造された時計をそのまま日本で使用でき、日本製の時計を世界のどこへ持って行っても全く支障なく使える。

時だけはなぜ、12進法・60進法なのか

学校教育で10進法をたたき込まれる現代人にとって、時間の12進法・60進法は若干の違和感を覚えさせる。使い慣れない単位で、他にはあまりない単位だからだ。では、なぜ、時間にこのような計量単位が採用されたのだろうか。

計量の歴史を調べると、古代の人々は身体の部位を基準にして計量の単位を築いている。指を折って数を数えただけでなく、身体の部位をモノサシに使っていたのだ。

例えば、親指の幅(インチ)、こぶしの幅(パルム)、手の親指と小指を張った長さ(スパン)、ひじの長さ(キュービット)、足のつま先からかかとまでの長さ(フィート)など。モノサシなどがなかった時代に、ものの長さを計る場合には、まずは親指の幅を当ててみて、より長ければこぶしに代えて測るとか、こぶし何個分といった測り方が一般的だった。しかし、時間体系は身体の部位の寸法を当てはめて測るわけにはいかなかった。

“分”“時”“日”の時間や角度の測り方は、紀元前15世紀ころにチグリス・ユーフラテス流域で生活を営んでいたバビロニア人によって体系化されたと伝えられている。角度の1度を円周の360分の1とする考えは、1日を約360倍すると太陽が天空の中で1周するのに要する時間(1年=365日)になることを基礎にしているようだ。

古代から、人類は月の満ち欠けが約30日のサイクルで繰り返され、それが12回続くと再び同じ季節が巡ってくることを経験的に学んでいた。バビロニア人は太陽が地平線に顔を出し始めてから、完全に姿を現すまでの時間(約2分)を1つの基本単位とすると、720個分(=12×60個分)で1昼夜が経過することにも気がついていた。したがって、天文の分野では12や60が重要な数字として認識されていたのだ。

また、当時のバビロニアで使われていたシュメール数学では、数の多い単位の区切りとして12進法や60進法が多用され、1より小さなものを表すのに60分割することも行われていた。

 

シュメール数学とは、バビロニアの前にこの地で文明を開花させたシュメール人が編み出したものだ。シュメール人自体はもともと移民としてバビロニアに移住したもので、祖先はよく分からないのだが、温和な民族で根気強く、湿地帯を乾かし農耕の習慣をつくり、貿易を発展させた。

都市には壁を築き、車輪のある乗り物まで使っていた。さらに、くさび形文字、ろくろ、数式、最初の法律、踏み車、ブランコ、ハンモック、ボールゲームなども発明している。

シュメール人が12進法や60進法に固執した理由はまだ完全に解明されていないが、親指を除く手の指の関節が12本あることを利用して数を数えていたという説がある。

一方の手の指を折りながら10の単位を数え、もう一方の手の関節で1の単位を数えると、両手で60までカウントできる。しかも、12は、2、3、4、6の倍数、60は2、3、4、5、6、10、12などの倍数だ。角度に使われる360も約数が多く、さまざまな場面に利用できるので便利だったためではないか、と推測されている。

時間単位の源は明確ではないが、時間の計り方は天文分野との関連を深くもちながら発展した。一般人の生活では、細かい時間を規定する必然性は少なかったが、天文分野では細かい時間だけでなく、全体の体系が必要だったからだ。

年と日が12進法で、時間と分が60進法で組み立てられることによって、1年間を秒に換算すると、60秒×60分×24時間×365日で、3153万6000秒となる。

現代の数学から判断すると進法に一貫したルールがないために不合理に思えるのだが、古代バビロニアで暦や時間体系を決めるにあたっては、数学、天文学、占星術など当時のあらゆる学問、知識を総合的に考えて決定されたのだろう。

このような事象を組み合わせると、文字盤の「不合理」にも意味があったことを理解できるだろう。それは、時計が5000~6000年の歴史を、そのまま忠実に守ってきた証拠なのだ。