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賞金王・宮里優作 一度は引退も決意した「15年の苦悩」

もう藍ちゃんのお兄さんとは言わせない

ゴルフ界にその名を知られた宮里3兄妹。3人とも才能溢れる選手だったが、あるとき末妹が兄2人を差し置いて、プロトーナメントで初優勝を果たす。それから13年、次兄はようやく妹の背中を捉えた。

ようやく手にした栄冠

「宮里家の誇りだよ」

宮里藍(32歳)は、今季の最終戦で優勝して初の賞金王に輝いた兄・宮里優作(37歳)を祝勝会でそう称えたという。

プロ15年目にして、日本の頂点に立った優作。これは「遅すぎる栄冠」だった。優作はアマチュア時代から、「和製タイガー・ウッズ」と呼ばれるほどの逸材で、何年も前にその座についてしかるべき選手だったのだ。

恩師である東北福祉大学ゴルフ部の阿部靖彦監督はこう話す。

「学生時代の成績から考えれば、『ようやく』という感はありますね。プロ入り当初、優作が『僕は大器晩成なんで』と笑っていたことを思い出します。

優作の場合、妹の藍ちゃんはやはり大きな存在でした。『妹には負けたくない』という気持ちが逆に働いたことは否めません。やっぱり兄妹ですからね。妹の活躍を見て、『自分もやらなくては』という思いが強かったのではないでしょうか。

これは私が彼と話して感じることですが、学生当時よりも、いまは精神的にどっしりしている。それはそうした気負いがなくなったからなのでしょう」

 

優作は3兄妹の次男。ティーチングプロである優さん(71歳)の指導を受けて、長男・聖志(40歳)、長女・藍とともに3人がそれぞれプロゴルファーとなった。

優作が生まれ育ったのは、沖縄県国頭郡東村。那覇市から北へ、車で2時間はかかる人口2000人ほどの静かな村である。先にゴルフを始めた兄のマネをして、優作は3歳のころからゴルフクラブを手にした。だが、決して環境に恵まれていたわけではない。

父・優さんは村役場で働いていたが、周囲から推されて村長選に出馬し、落選。ここから宮里家の苦難の道が始まった。

選挙後は手のひらを返したように村内から冷たい目で見られるようになった優さんは、新たな仕事を見つけることがなかなかできなかった。

そのため、ほぼ2年間は名護市役所に勤める妻・豊子さんの収入だけで一家は暮らしていた。優さんは生活のために心得のあったゴルフのティーチングプロになることを決意する。

優さんは29歳のときに豊子さんに誘われてゴルフを始め、公務員時代には睡眠時間を削って早朝や夜中に練習するほど夢中になった。腕前はシングル。そこで一念発起して資格をとり、名護市のゴルフ練習場でようやく働き口を得た。

そんななかで、優さんはいつか子どもたちとラウンドを楽しみたいという気持ちでゴルフを教え始めた。