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猪木とアリ「世紀の凡戦」で芽生えたふたりの友情物語

『アリと猪木のものがたり』より

ほんのジョークがきっかけだった

―ボクシング世界ヘビー級王者として、名声をほしいままにしたモハメド・アリと、東洋のいちプロレスラーにすぎなかったアントニオ猪木。著書の『アリと猪木のものがたり』は、交わるはずのなかったふたりがなぜ闘い、何を残したのかを仔細に検証しています。

僕は37年前のデビュー作『私、プロレスの味方です』で、プロレスを差別し、蔑視する“世間”に対し、プロレスの真の価値を訴えようとしました。しかし、あの本では、実現したことが奇跡ともいえる「アリ-猪木戦」について、撫でる程度にしか触れることができなかった。

当時の僕には、あの試合の持つ価値を、説得力のある言葉で書き切ることができなかったからです。そのことにずっと後ろめたい気持ちを抱いていたんですが、昨年、アリが亡くなり、追悼番組で40年ぶりにテレビ放送されたあの試合を見るうちに、書くべき事柄が湧いてきたんです。

―アリという人物をどう評価しますか。

「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と形容されたように、アリはスマートでテクニックのあるボクサーでした。同時に、彼には演劇的な要素もあった。リング上で「アイ・アム・ザ・グレイテスト!」と叫んでみせるあたりに、僕はプロレスラー的な魅力も感じていたんです。

一方で、アリは「ブラック・ムスリム」に入信し、ブラック・パワーの象徴として公民権運動を牽引していた。黒人として生まれたアリは、白人からの差別と闘う宿命を負っていました。

―対する猪木も、アリとは違う形の“差別”と闘っていたと描かれます。

力道山の時代から、世間はプロレスを八百長か、そうでなければ「巷のケンカ」程度のもので、スポーツとは無縁なものだと見下していた。

猪木も、そうした世間の本音は常に感じていたでしょう。ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと闘うことは、“プロレスへの蔑視”との闘いでもあったと思います。

アリと猪木の軌跡を辿ってみると、ふたりの間には“差別との闘い”という共通のキーワードが浮かんできます。

―そのふたりの対戦は、ちょっとしたジョークをきっかけに実現します。

 

'75年に、アリが日本アマレス協会の会長に「東洋人で俺と闘うヤツはいないか」と発言したという新聞記事がきっかけでした。

アリとしては日本人に対するリップサービスのつもりだったのでしょうが、そこにプロレスラーらしく噛みついたのが猪木でした。猪木はあらゆるルートでアリに接触、ついに来日させます。

アリは来日当初、プロレスの試合をするつもりでいました。さらに試合前の公開練習で猪木が激しい打撃技を見せたことでアリ陣営は警戒し、肘打ちや立ったままでの蹴りを禁ずるルールに変更させた。だから猪木はがんじがらめのルールで闘わざるを得なかった。

―いざ試合が始まると、猪木は寝そべったまま蹴りを繰り出すばかりで、マスコミには“世紀の凡戦”と批判されました。

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アリとしては、レスラー相手なら一発でもパンチを当てれば仕留めることができると考えていたでしょう。対する猪木は、クリーンヒットをもらったら終わりだけど、アリの体を捕まえれば勝機を見出せると思った。だからこそ、ああいう形にならざるを得なかった。

僕は当時、寝たままの状態で蹴りを続けていては、猪木の腹筋に負担がかかり、いずれ動きが鈍くなるのではないかと危惧していた。アリもそこを狙っていたのでしょう。ところが、猪木は疲れも見せずに蹴り続けた。

一方で、猪木としては足を蹴り続ければやがてアリは倒れ、組み付くチャンスが生まれると考えていた。ところがアリは倒れない。お互いに目算が外れたまま、時間だけが過ぎてしまった。