妻・詩織さんが明かす「石井琢朗が広島からヤクルトに移籍した理由」

そこには「家族の絆」があった
石井 詩織

ただ、同時に、石井の本心では野球人としてもっと広島でやりたい、という気持ちがあることも、私はわかっていました。

石井も家族のことが心配で一緒に住みたいと思っている。でも石井の野球人としての希望もよくわかる――かなり悩んで、長女の病院の先生に相談しました。そのとき先生から、長女の環境を変えたほうが体調も良くなるのではと言われたことが、私の背中を押してくれました。

石井は野球を愛していて、私たちも生活があります。なにより、一緒にやりたいと思える球団にいられることは素晴らしいことです。それなら今度は家族が広島に行こう! ということになりました。

長女が4年生、次女が1年生の3学期のときでした。

 

そこで私たち家族3人が合流して、晴れて家族4人での暮らしがはじまったんです。

石井の故郷は栃木で、私は徳島。お互いに田舎で生まれ育ったので、広島は私たちが子供のころに育った環境に似ていました。自然に囲まれて、空気がきれいで、なんでも美味しくて。周りの方も親切で、本当にいいところでした。

2013年7月には長男も授かりました。

長女も体調がよくなり、学校に通うようになっていました。次女は素晴らしいテニスのコーチに出会うことができ、東京のときから姉と一緒に習っていたテニスに、一層のめりこむようになっていました。私たちは広島で、いろんな恩恵を授かりました。

初めての「退団願い」

次に真剣に、石井が退団を考えたのは2014年のことです。長女が「東京の中学に行きたい」という決意を固めたことがきっかけでした。

東京では中学につながっている附属の小学校に通っていたので、中学に行くのであれば6年生の2学期、つまり2014年の9月1日には小学校に戻らなければなりませんでした。やっぱり附属の中学に進みたい。だから戻りたい、と言うのです。彼女にとって広島は大好きなところだけれど、東京には昔からのお友だちがいる。ベースは東京にあったんです。

夫婦で話し合い、長女の希望を聞いてあげようということになりました。しかしここで問題が起きました。次女は、まだ帰りたくないと言ったのです。理由はテニスでした。年中から習い事の一環で始めたテニスですが、広島にきて素晴らしいコーチに出会い、見違えるほどに上達していました。家の隣に偶然テニスコートがあり、いつでも練習できるという恵まれた環境もありました。

ただ、私がその年の1月に虫垂の腫瘍摘出の手術をして、体も弱っている中で0歳児の長男がおりましたから、姉や義姉に広島まで来てもらって手伝ってもらっていました。そんな中、子供が東京と広島に分かれて暮らすには不安がありました。

そこで、まずは9月に私が長女と長男を連れて先に帰り、石井が2014年の秋でコーチをやめて年末まで次女と暮らし、それまでに東京でのテニス環境を探してから帰るようにしようと話しました。「10月でパパはやめるから、生活もなんとかなるよ」と次女に言っていましたし、最後になってしまうからと長男を連れて広島の試合を一緒に見に行きましたね。

広島の退団を考えた時期に、家族で広島球場へ。写真提供/石井詩織さん

早速、石井は球団に「東京に戻りたい」と打診をしました。ですが、球団本部長に「できれば残ってほしい」と言っていただいたんです。

この年、カープは初めてクライマックスシリーズに出ることができた年でした。石井も「もっと強くなれる!」という手ごたえを感じていただけに、部長のお言葉はよくわかったそうです。

何度も考えた末、石井は「やっぱりカープは今が面白い。絶対に強くなるから、もう少しやりたい」と私に言ってきました。選手でも田中君や菊池君、丸君など、多くの若手が伸び盛り。これから間違いなく育つ選手が多いと感じたのだそうです。

そんな環境でコーチができるのは幸せなことですよね。

結局、次女だけが帰ってくることになり、石井はまた寮生活に戻りました。