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「5分間瞑想して何になるの?」誤解されたマインドフルネスの本質

禅僧の精神科医が説くそのメリット

提供:「#老後を変える」編集部(メットライフ生命)

最近メディアなどでよく取り上げられる“マインドフルネス”。耳にしたことがあるという方も多いのではないでしょうか。

マインドフルネスを実践することで「ビジネス効率が上がった」「発案力が上がった」など話題になり、多くの企業が取り入れています。そうしたマインドフルネスの手法や結果に対しての注目が集まっていますが、本質はそこではありません。実は一生に一度の人生を、より豊かなものにするためにあるのです。

そこで、禅僧であり精神科医でもある川野泰周先生に、マインドフルネスについてお話を伺いました。

「自分を大事にする」ことが本質

マインドフルネスは 、“マインドフル”な生き方をすることが本質だと川野先生は言います。

「ただ、“マインドフルな生き方をする”だけですと意味がわかりませんので、呼吸瞑想やお香瞑想、私の発案したつり革瞑想などのメソッドを実践することで、マインドフルな状態を感じ取れるように手法を提示しているのです」

ですから、自分なりの自由な旅行に出てみたり、週末にキャンプをして、時間を忘れて自分と向き合うようなことも、マインドフルな状態を感じるのには良い機会になりそうです。

マインドフルネスを医学の治療として体系化したのがマサチューセッツ大学のジョン・カバットジン博士(以下、 カバットジン博士)。それを「MBSR=Mindfulness-Based Stress Reduction(ストレス低減法)」と言い、ここからマインドフルネスのいくつもの手法が生まれました。

もともとマインドフルネスというのは“禅”の精神が基になっており、カバットジン博士も禅僧の崇山行願さんを強く慕い、指導を受け、本を読み、さまざまな影響を受けて体系化していきました。

「自分という存在をありのままに受け入れてあげる。これがマインドフルネスの始まりであり、それを現代に伝えてきたのが『禅』です」

“禅の修行”と聞くと、少しでも動くと警策(けいさく)でバシッと叩かれるようなイメージがあるかもしれませんが、厳しすぎない、甘すぎないという“中道”の精神が仏教の本質なのだそうです。

「堕落しすぎることもしないけれど、厳しく自分をいじめることもしない。自分という存在をありのままに受け入れてあげる。これがマインドフルネスの始まりなんです。

6年間、厳しい修行をしても悟りを開けなかったブッダも、自分に対して目を向けた瞬間、悟りを開いたという仏教の教えがあります。自分を大切にしたことで、自分への慈悲の気持ちに気づけたのです。これが、“自分を大事にする”という仏教の基本であり、マインドフルネスの始まりなんです」

 

もともと2500年ほど前からあったともいわれる仏教の教えを、カバットジン博士が工夫をし、世界中どんな人でも取り入れられる瞑想のメソッドとしたのが、マインドフルネスの始まり。

「つまり、マインドフルネスの本質は『禅』や『仏教』と同じなんです」

“禅”や“瞑想”が注目される3つの背景

近年、“禅”や“瞑想”が世の中で注目されるようになった背景が3つあると先生は仰います。

その3つとは「精神医学・心理学」「脳科学」「禅」であり、マインドフルネスはそれらがちょうど重なる中心に位置するものです。