国家予算500億円を投じた「全国学力調査」が有害無益な理由

こんなことを10年もやってきたのか…
大前 治 プロフィール

各地で不正行為・弊害が起きている

次のような不正行為も起きている。まったく、本来の教育の姿からかけ離れた事態である。

・教師が前日に問題と解答を黒板に書いた。教師は故意ではないと弁明(茨城県つくば市立中学校、2017年)
・事前に問題文を読んだ教師が、問題を解く順番を口頭で指示。難しい問題を後回しにさせた(山口県下関市立小学校、2013・2014年)
・教師が設問を指さして、児童の誤答に気付かせた(広島県三原市立小学校、2007年)

各県・各学校で全国学力調査の点数が開示され、地域間・学校間の競争が激化している。学力順位は学校評価だけでなく教員評価にもつながるから、追い詰められた教師が不正行為に及んでしまう。

2013年9月には、静岡県の川勝知事が「成績が悪い学校の校長名を公表する」と発言した。吊し上げである。さすがに強い批判を浴びて、平均を上回った学校の校長名の公表へと変更されたが、公表されない学校は平均以下と分かるので同じである。

全国学力調査が異常事態を生み出している。もはや学力調査は手段ではなく目的になっている。こうして薄っぺらいペーパーテスト至上主義が浸透し、点数を基準に学校と生徒が選別され、教育現場が荒廃していく。

被害者は子どもたちである。知識ばかりで知性も教養もない「人材作り」が指向され、「なぜ?」と立ち止まって考えることなく疑問も持たない「国民」が作られていく。競争で他人を蹴落とすのは当然という風潮が芽生える。

全生徒を対象とせず抽出調査にするだけでも、こうした「全学校・全地域を巻き込んだ競争」の弊害を解消できる。

 

「教育を受ける権利」に立ち返ろう

全国学力調査がもたらす競争激化の結果、子ども一人ひとりに寄り添う教育が損なわれる。これは憲法26条が定める「教育を受ける権利」を阻害しているのではないだろうか。

*日本国憲法 第26条1項
すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

当たり前の条文のようだが、実は二つの深い意味がある。

第一に、教育を受ける権利は明治憲法に書かれていなかった。1890年(明治23年)に明治天皇が発布した「教育勅語」は皇国繁栄のため先人の遺訓を学ぶことを国民の義務としていた。教育を義務から権利へと大転換したのが憲法26条である。

第二に、憲法は個人の尊重(13条)、思想良心の自由(19条)、表現の自由(21条)、学問の自由(23条)を明記している。それに加えて、さらに教育を受ける権利(26条)を明記している。

この二つを考え合わせると、憲法26条が保障するのは「国家のため」ではなく「自分のため」に教育を受ける権利であることが分かる。数々の基本的人権を保障されつつ、さらに人格形成と自己実現を可能とするために教育を受ける権利が保障されている。

教育は、統計上の学力向上や人材育成という国家の目的達成のために行われるのではない。教師や友達と心を通わせながら学び成長し、他者と協同して生きていく力を身に付けていくのが本来の教育の姿であり目的とされるべきである。

このように、全国学力調査には数々の問題点がある。まとめると次のようになる。

・大規模調査のため採点に5ヵ月もかかり、子どもへの個別指導には役立たない。
・調査結果は全国的な傾向を分析するだけであり、各生徒・各クラスに見合った指導改善策は示されない。
・毎年50億円規模の予算に見合った効果があると思えない。
・学校や地域間の競争が激化し、点数増が目的化して不正行為などの弊害も生じている。
・全生徒を対象とする必要はない。抽出調査にすれば弊害も回避でき、費用も削減できる。

教育が歪められてはならない。現在のような形の全国学力調査は、そろそろ終わらせるべきである。