あの噺家は誰だ?『わろてんか』の実在のモデルを推理してみた

吉本興業と上方落語の微妙な関係
堀井 憲一郎 プロフィール

春団治のあと(月の井団吾のあと)、吉本興業と大きく関わる落語家といえば、つまり『わろてんか』に出てきそうな落語家は、二代春団治と、五代松鶴くらいだろうか(春団治が死んだ翌月に、弟子の福団治が二代目春団治を継いだ)。

ともに滅びそうになる上方落語を支えようとした2人である(ちなみに戦後の上方落語四天王と呼ばれた三代春団治、六代松鶴のそれぞれの父である)。

吉本興業に所属していた五代松鶴は、あまりに漫才偏重のプログラムになった吉本の寄席を嫌い、昭和12年に吉本をやめる。ごく少数の仲間たちと、上方落語を守る活動を始める。同人のような動きであった。

戦後、その松鶴周辺に若者が駆けつけ(六代松鶴や、米朝など)ともに上方落語を滅ぼさない懸命な努力を始めた。

ただこの五代松鶴と、二代春団治は、1950年と1953年に亡くなってしまう。周辺はこれで上方落語は滅びたのではないか、と憂う。

吉本せいが死んだのは松鶴と同年、1950年である。

上方落語と吉本興業の微妙な距離

ドラマではこのあと、沈みゆく落語と、売れていく漫才を、描いていくはずである。

吉本興業では、実質的な経営者であった弟の正之助によって、主力商品は落語から漫才へと転換していく。そのとき、姉の吉本せいは、冷遇されていく落語家の不満を聞く役目を、いつも担っていたらしい(この点では葵わかなはハマリ役だとおもう。癒し系の女優さんだから)。

吉本興業が落語ではなく漫才を選んだのは、ただ冷静に客入りから判断していっただけだとおもわれる。

落語側からは(五代松鶴周辺からは)吉本興業へのうらみつらみというか、愚痴がいくつか語り伝えられている。

しかし、吉本せいの死後、名もなき若者たちによって上方落語界は奇跡的な復興を遂げる。

その上方落語と吉本興業の微妙な距離がどう描かれるのか、ちょっと楽しみである。

落語論