あの噺家は誰だ?『わろてんか』の実在のモデルを推理してみた

吉本興業と上方落語の微妙な関係
堀井 憲一郎 プロフィール

春団治のギャグ連発落語

春団治は、ギャグ連発落語を創りだした。落語本来が持っている雰囲気や、世界をどんどん壊していっても、とにかく笑いを取りにいった。

たとえば。

「体をかわす」と言おうとして、「たい」という言葉が出てこない、というところで「あのー、あれ、西ノ宮をかわしたんや、」と始まる。

えらいもんかわしよったなあ、と聞かれ「西ノ宮はかわしにくいわい、西ノ宮にある有名なものがあるやろ」「えべっ(恵比寿)さんかい」「えべっさんが持ってはるもん」「魚釣り竿か」「竿の先にある」「てぐすか」「てぐすの先の」「浮き」「浮きっ! もうちょっと」「針かい」「針っ! 見えてきた見えてきた。針についてるもん」「エサか」「エサっ……そのエサにバーッと喰らいついてる赤うて大きな魚」「どつくでおまえ、それは鯛や」「そう、タイをかわしよったんや」「えらいやっちゃな、タイを言おうおもて、人を西ノ宮まで連れていきよった」という一連のギャグが、これが春団治の落語である(『阿弥陀池』というネタ。東京では『新聞記事』だが、西ノ宮は兵庫県の地名なので東京ではここまでは広げない)。

くどい。めちゃくちゃくどい。しかもかなり無理がある。

ただ、これ、一度はまってしまうと、笑って笑って笑い続けて、笑いが止まらなくなる。春団治すごい、春団治だい好きーと、なっていく。

逆に、この畳みかけるギャグに入れなかったら、ただ、くどく粘っこい無意味なやりとりにしか聞こえない。

もちろん当時は、この濃いギャグがすごく受け、大人気となったのだ。

そして、案の定、一部の好事家や、正統派落語好きからは、上方落語を壊すものとして、蛇蝎のごとくに嫌われた。

たしかにこの春団治のギャグ落語は、いろんな噺家が真似をしやすく、現代に至るまでその影響は残っている。

受ければ何だっていいのか、節度は必要なのか、その判断はむずかしい。

 

春団治が認めていた先輩落語家

ドラマでは、月の井団吾の兄弟子の月の井団真という噺家も出てきた。

団吾が好きだった師匠の娘を奪った兄弟子で、あまり売れてない。これは誰なのか、想像もつかない。

春団治の実の兄はあまり売れない落語家だったし、春団治は大金持ちの後家さんと再婚したことが大阪中で評判になり〝後家殺し〟と呼ばれていたが、それとはあまり関係なさそうである。

ただ、春団治が認めていた先輩落語家の話は、聞いたことがある。

ひたすらギャグ落語ばかり演じていた春団治であったが、でも実はしっかりした落語も語れたということがいろんなところで書かれている(春団治に関して書かれたものはすごく多いのだ)。そこには楽屋で出番待ちをしているとき、前かたに出ている落語を聞いて、「このあとに出るのはかなわんなー」と言ったエピソードが紹介されている。

それはだいたい、さきほど紹介した三代の文三か、その前に紹介した四代の文吾である。しっかりした落語をじっくりと聴かせたあとに出て、ずっとおどけ続けるのが、かなわない、というニュアンスで言っている。

ただ、複数人の落語家が出る会では、いつだって誰だって、ずっと同じことを気にしているはずだ。落語は個人プレーなのだが、落語会や寄席は、みんなで笑わせる団体プレーでもある。それぞれ、自分の役割をきちんと守らなければいけない。

漫才と落語の地位が逆転した

時代の寵児であった春団治が昭和9年に死ぬと、上方の演芸界では漫才と落語の地位は逆転していく。落語は寄席では添え物あつかいになる。

東京の寄席では、出演者名を並べて書くとき、落語家が黒い文字、漫才や曲芸が赤い文字で書かれている。いまでもそうである。だから落語以外が「色もの」と呼ばれる。

ところが関西の寄席では(特に吉本系統では)漫才師が黒文字で、落語家は赤文字で書かれていた。如実に、漫才が中心、落語はおまけ、ということが示されている。