あの噺家は誰だ?『わろてんか』の実在のモデルを推理してみた

吉本興業と上方落語の微妙な関係
堀井 憲一郎 プロフィール

落語のヘタな人の特徴

それより前、『わろてんか』でオープンした風鳥亭で落語を演じていたのは、和泉家玄白(いずみやげんぱく)という落語家だった。

「天王寺詣り」「三十石」「高津の富」と演じて、三日続けて、だだスベりにスベっていた。受けないのを他人のせいにしていた。演目から見るに、笑福亭系統に見える(単に六代目笑福亭松鶴が得意だった演目ということであるが)。

このモデルは、ほんとうに誰でもないだろう。

落語がヘタすぎて、客が怒って帰るという芸人に、モデルは設定しない。

ヘタだけど大名跡を継いでいた人としては、七代桂文治(もと二代桂文団治)が浮かぶが、この人は自分の実力を知っていて、深いところ(つまりトリや、中入り前という大事なポジション)では出なかったというから(『四世桂米團治寄席随筆』)、彼がモデルではない(とおもいたい)。

ただこの和泉家玄白のヘタぶりがおもしろくて、セリフが棒読みで感情を入れないというヘタさを見せていた。

ドラマとしてはわかりやすくていいとおもうが、実際に落語がヘタというのはああいうものではない。あれはヘタな役者(演技)である。ヘタな落語は、寄席に行けば連日、掃いて捨てるほど見られる。ときどき掃いて捨てているので拾って帰られるとよろしい。

落語のヘタな人の特徴は、口は達者、というところにある。

舞台に立つ役者さんにとって、ヘタというのは、客との共和を拒み勝手に演じること(役そのものにだけ関心を持ち、客を意識しないこと)になるのだろうが、落語は逆である。落語家は、客の歓心ばかりを気にして演じているので、ヘタな落語家は客に寄ってくるのだが、それがずれているのだ。

ウケを狙って演じるのが、ことごとくはずれるのがヘタな落語である。

棒読みというのは、芸人ではありえない。だぶん文字(台本)を読んで覚える演劇と、耳で覚える演芸の差で、お芝居では「うまそうな落語家」よりも「ヘタな落語家」を演じるのが、数倍むずかしいんだな、と和泉家玄白を見ていて気づいた。まあ、誰も気にしないから、スルーしてもらっていいんだけど。

 

春団治の名のもとに

『わろてんか』で、続いて出てくる大物の落語家は、月の井団吾。

〝月〟の字がついている亭号といえば月亭、三友派を起こした月亭文都が有名である。何となくそこから取っているのか、とおもう。

ドラマでは月の井団吾は赤い人力車に乗って、借金取りから逃げていた。

ふつうに(ある程度の年齢以上の関西人なら)桂春団治だとすぐわかる登場であった。ただ、この大正期から昭和初期に大阪一の大スターだった春団治は、赤い人力車などに乗ったことがなかった。これもいまではかなり知られているはずだが、ドラマではあえて伝説のほうを取ったらしい。

実際に赤い人力を乗りまわしていたのは、春団治より少し上の三代桂文三である。

1890年代に売れに売れ、大人気の噺家として、派手な振る舞いが目立った落語家だった。

「金の鎖を首にかけたり、太い金の腕輪を手にはめたり、真っ赤に塗った人力車を乗り廻したり、あっと言わせるような派手な行動でずいぶん人気をとった」(『上方落語ノート』桂米朝)と伝えられている。

ただ晩年には目が見えなくなり、それでも高座に上がり、明治時代の芸人にはその晩年が悲惨な人がかなりいるのだが、彼もその一人である。

文三の赤い人力車のエピソードが春団治のものになった。どうやら、上方の芸人の派手なエピソードは、すべて春団治の名のもとに集められ、春団治は「こうあってほしい無茶な落語家像の集大成」になってしまった。

そもそも芸人が、舞台で話している身の上話は、ただ笑ってもらいために話してるだけで、他人のエピソードをそっくりもらってることも多く、話し半分というか、ウソ8割とおもって聞いていたほうがいい。

舞台で、芸人が話し終わって頭を下げたら、聞いた内容はすべて忘れたほうが身のためである(あとで人に話したりしないほうがいい、という意味です)。いま今日現在の寄席でもそれは同じだ。