吉本興業の創業者の吉本せいの写真のうち、着物をきちんと着て、煙草を吸っている姿がある。晩年のものだ。
興行の世界は堅気の世界ではない。興行師らしい雰囲気のあるこの写真が、私は好きである。
この人をモデルにしたNHKのドラマをやっている。『わろてんか』。
葵わかなが演じているが、晩年、煙草を吹かすようなシーンは描かれないだろう。朝ドラの女主人公が煙草を吸うシーンは見た覚えがない。最近は、朝ドラの登場人物はほぼ誰も吸っていない。
そもそも、この時代の寄席に入ると「座布団にお茶に煙草盆」が用意されていたはずだが(だいたい別途料金)、このドラマでは煙草盆は見かけない。落語を見ながら客の誰一人として、キセルで煙草を吸っていないなんて、どの世界のどういう寄席だろうとおもうのだが、しかたがない。
NHKの連続テレビ小説『わろてんか』は、だから吉本せいの人生そのものではない。彼女の人生と、当時の大阪の演芸界を下敷きにした、別の世界の物語である。
そもそも吉本せいの弟は、吉本興業の中心となる人物であるが、『わろてんか』の主人公の北村てんには弟が見当たらない。このあといきなり出現したらそれはそれで面白いが(いやぁ、うちにこんな大っきい弟がいてたんやー、とか)、残念ながらそんなことは起こらないでしょう。
幼なじみの風太(濱田岳)がたぶん弟代わりなんだろう。ドラマでは大番頭になっていきそうだ。
吉本せいの弟は林正之助で、(林は、せいの旧姓)彼は吉本興業の中心にいた。吉本興業は家族経営の会社だった(いまは違う)。吉本せい、林正之助、そして正之助のさらに弟の林弘高の順に社長に就任している。
ドラマはかなり現実とは離れている。あまり真剣にモデル探しをしても意味がないだろう。
でも、気になる。
吉本興業が(まだ会社ではなかったが)、初めて寄席を買ったのは、天満天神の裏門にあった二流館だった。
ドラマの風鳥亭も同じ場所に設定されている。
明治45年1912年のことである。
この時点では大阪市内に多数の寄席があった。
時流とともに、どんどん数が減り、やがて〝落語を中心に聞かせる寄席〟が大阪にはまったくなくなってしまう。その流れには吉本興業が大きく関係している。
それからまた数十年の時を経て、世紀をまたぎ、2006年、上方落語協会会長の桂三枝の尽力によって、落語の寄席〝天満天神繁昌亭〟がこの天満にオープンした。吉本興業がそもそもの寄席を始めた場所に、21世紀の上方落語の拠点が作られたというのは、なんだか不思議な因縁である。おそらく、てんてんてんまの天神さんのおかげ、なんだろう。
1912年にオープンした吉本興業の寄席は、いわゆる〝端席〟なので、イロモノを中心に興業を行っていた。落語は少しだけ、曲芸や物真似などの芸を中心に見せる演芸場である。
平成の世にもそういう演芸小屋はあった。
経営が変わる前の名古屋の大須演芸場はそういう小屋で、曲芸、三味線漫談、太神楽、腹話術などの演芸があって、落語をやるのは2人だけだった。演芸6本でひとまわり。1人の芸人が違う芸名で、服装を変え、曲独楽と腹話術をやったりしていた。
それを二まわり見ていると、かなり奇妙な気分になる。この小屋で、観客が私1人になったことがあって(2009年の5月)、1人で寄席にいると、落語の時間よりもイロモノさんの時間のほうが苦しいということをここで知った。
知ったところで、どうしようもないのだが、しかし、私が反応しないと世界はすみずみまで静まりかえっているのだ。とてもこわかった。
まあ、明治の末年のイロモンさんの芸はまた違う味わいがあったのだろうが、でもそれが続くと、見てるほうもそれはそれで大変だったはずだ。