日本の伝説を調べたら、驚きの「縄文世界」が浮かび上がってきた

これまでにない列島文化論
瀬川 拓郎 プロフィール

古代海民とアイヌ、ふたつの結びつき

海辺の洞窟と山頂を結ぶ他界伝説は、山形県羽黒山のほか新潟、富山、長野、神奈川、島根など各地の修験道の道場でも語られていた。他界の出口を山頂の沼とする修験者の観念は、アイヌのそれと一致する。かれらもまた縄文の世界観を伝えていたのではないか。

農耕民は、山の女神が平地の田畑と山を往還すると考えていた。この二元的な世界観は、海と山の神の往還という縄文の二元的な世界観の構造的な変容であり、海の神を失った山の女神がひとり平地へ往還する存在になったことを意味しているのではないか。山の女神に海魚を供える奇妙な習俗はその名残だろう。

 

弥生~古代の海民は、強い呪術性を帯びていたことが考古学的に明らかになっている。なかには呪術者の卜部として古代の王権に仕える者もいた。縄文人の形質的特徴を古墳時代までとどめた南九州の隼人もまた、呪能と芸能によって王権に奉仕した。

強い呪能で注目されたのは古代アイヌも同じだ。かれらの呪能と芸能は、海と山、彼岸と此岸を往還して人びとを祝福するまれびと神の世界観、すなわち縄文の世界観に由来するものだったのではないか。

縄文の思想』では、周縁の人びとの生を律してきた自由と平等も縄文の思想であり、それがいまなお海辺の人びとのなかでアクチュアルな意味を担っている事実、つまり縄文の現在性についても論じた。

縄文の思想は、農耕民化と市場経済をなぜ・どのように生き残ったのか。縄文の思想はなぜ暴力を帯びたのか。土着思想の自由と平等とはどのようなものか。その答えは、網野善彦の海民論と折口信夫のまれびと論を考古学と神話で接合しながら縄文に遡及しようとする、これまでにない列島文化論の本書でご確認いただきたい。

読書人の雑誌「本」2017年12月号より