男性として生まれたものの自らの「性別」に違和感を覚え、同性愛、性同一性障害など、既存のセクシャルマイノリティへ居場所を求めるも適応には至らず、「男性器摘出」という道を選んだ鈴木信平さん。
そんな鈴木さんが、「男であれず、女になれない」性別の隙間から見えた世界について描いていきます。今回は先月医療保険適用への検討が示された「性別適合手術」について大いに語ります。
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2017年11月29日。
スマートフォンの画面に映し出されたその見出しに、私はまさしく我が目を疑った。
「性別適合手術 医療保険適用へ」
正確には「審議中」とのことだが、その道筋にはしっかりと光が差しているようだ。来年度からの適用を見据えているという。
通勤電車の中で記事を読み、驚くと同時に胸にじんわりと温かいものが宿った。歓喜の雄叫びというような爆発的な何かではなく、ゆっくりと噛みしめるように、少しずつ染み入るものがある。
ここまでにどれだけの人の血のにじむような努力や覚悟があっただろうかと想像する程に、ひたすら己に決着をつけることに終始している自分を振り返って、安易に感謝や慰労などとは言えない頭の下がる思いを抱いた。それと同時に、
もしもこれが20年前だったら、私の人生は変わっていただろうか?
という問い掛けがふと胸をよぎる。
もしも自分の状態を診断されることによって医療保険が適用されるかもしれないとなった時に、私は今と同じ道を選択していただろうか?
36年もの時間をかけて自問自答を繰り返し、自分の性に一応の決着をつけるために男性器を摘出した私のオペは、もちろん全額自己負担だった。その後に出血が激しく救急搬送を依頼した病院での支払いも、自ら頼んで処方してもらった止血剤でさえ10割負担だった。それでも不満は何もなかった。なぜならすべては「最初から知っていたこと」だったから。それを知った上で進んだ道であることを私は自覚していた。
そんな私の胸に、もはやすべて過ぎたこととはいえ、予期せぬ医療保険適用のニュースを知って一抹の不安が浮かんだ。
私は自らの意志だけを頼りにその道を選んだと思い込んでいたけれど、私が性同一性障害の診断書を得ずに体を変えるオペに進んだ理由の一つに「診断書があっても全額自己負担」という考えはなかっただろうか?
間もなく電車が勤務先の最寄駅に着き、私のほとんどすべては仕事用のスイッチに切り替わる。
いつの間にか私の日常は、人生を変えたかもしれないニュースにもひっくり返すことはできないほど確かなものになっていた。
私にとっても「性別適合手術 医療保険適用へ」は純粋に嬉しいニュースだった。
生まれついての体と性自認が同一の性ではない状態を、本人の努力では変えることのできない「障害」として世の中に広めた「性同一性障害」という言葉を私が知ってから20年程が経つ。その間、めまぐるしいスピードで社会における「性」の認識は変化し広がりをみせていった。
言葉の正当性は別として、セクシャルマイノリティを総じて「LGBT」と呼ぶことは誰もが周知のこととなり、当事者や応援者として啓蒙活動をする人たちの数は格段に増えた。セクシャルマイノリティへの理解や配慮を広げようと企業は動き出し、選挙戦など政治の中にさえも、有権者の支持を得るのに有効な政策としてたびたび登場するようになった。
未だ十分には至らずとも、少なくとも20年前と比べれば間違いなく、性別に関係するあらゆる主張や考え方は市民権を得てきたと思う。
それでも、性別適合手術が保険の適用外である事実はまったく変わらなかった。それを「障害」としながらも、助けの手は伸ばされなかったのである。